top of page
  • 執筆者の写真yamashina shigeru

ど真ん中名刺WS 30

更新日:2020年5月17日



さあ、ここまで実践について詳しくみてきました。

ど真ん中名刺、ど真ん中を生きるとは、実は難しいことを伝えているわけではありません。

まっすぐに素直に生きる生き方とも言えるのではないでしょか。


自分という人間は、血があり、育ちがあり、教えがあり、逆境や成功体験をして今がある。

それは、紛れもない事実。

だからこそ、ご縁があり、いまなすべきことがある。

そのなすべきことにまず向き合うことで、どんなことが求められているのか、なにがワクワクするのか、自分の情況が見えてくる。


であるならば、動く。実践だ。

その先に、自分にとってのど真ん中がある。

よし、これだと。


実践が先か、ど真ん中を見つけることが先か、そこはあまり問題ではない。

どう結びつき合っているのか、どんな物語がそこにあるのか。

他人ではなく、自分の物語を生きているかどうか。

 

この物語の起点は、やはり「ご縁」ということになりそうだ。

では重心はどこかといえば、「実践」なのではないか。


だからこそ多くの先人や先輩は、経験を重ねていけばいくほど、ご縁と実践の大切さを伝えてくれている。



とはいいつつ、誰もが思う大きな課題がある。


「頭では実践の大切さはよく理解できるが、実践とはなかなかできないものだ。」

「できないから、目的や計画や夢や野望を抱くのではないか。」

 

確かに、実践とは厳しいもののように思う。

それ以外には、不確実な時代に生きている「今」を考えると、なおさらだ。

 

ど真ん中を生きる価値観と、世の中の価値観のズレ。

仕事と社会貢献とワクワクを切り分けて、バランスをとる生き方が、まだまだメジャーなのかもしれない。

たどすれば、世の中を覆う前提条件、つまり「空気」に惑わされることは常だ。


さらに、その「空気」でさえ、日に日に変化する激動な時代だ。

どこにも正解がない。


また、日々生きていく上で、人は感情にも左右される。

昨日はAがいいと思っていたのに、今日はBがいいと思う。


そういった不確実な世界を生きていく中、ど真ん中を生きよう、実践を繰り返していこうとしたとき、その実践を支えるために2つに力が必要なのではと思っている。


それが

①座右の問い

②志

だ。


まず座右の問いについて説明する。



人間は1日に約9,000回の決断しているという話もある。

多くの選択をしなければならない。

 

その時に、座右の銘といったすばらしい言葉があっても、あまり実用的ではない。

必要なのは座右の問いだ。


ど真ん中を生きる、実践をする、と頭では理解していても、常にその方向に沿った選択や決断ができるわけではない。


その時に自分自身に問うのだ。


「どちらが、今住んでいる地域にとって必要か?」

「自分の心がワクワクするのはどっち?」

「100年後のこどもたちが喜ぶのはどれ?」

「リスクから逃げてないか?」


そういった常に自分に問いかける質問をひとつ決める

これは非常に効果的だと思っている。

ぼくもこれで何度も助けられた経験がある。


何より、一度座右の問いで導いた選択であれば、後悔することが減る

選択の先に困難が待ち受けていようが、自分が決めたルールで選んだはずで、その困難を受け入れる覚悟も生まれるはずだ。


この座右の問いをぜひ決めましょう。

自分の座右の問いを、ど真ん中名刺にのせる方もいます。

それはどちらでもいいと思います。

それも選択です。

閲覧数:20回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page