さあ、もう本気の補習も終わりに近づきました。
新しい課題はもうありません。
まとめに入っていきます。
まずは上記の図を一度拡大させてゆっくりと眺めてみてください。
血・育ち・教えから始まり、mustに出逢い、needsとwantsを発見する。
この3つの円を重ね合わすことで実践とど真ん中が見えてくる。
ど真ん中をカタチにしていけば、ど真ん中こそ仕事(must)に変わり…、と循環が生まれる。
この循環を支えるのが座右の問いと志。
そして大志へとつながる。
さらに、時を経て大志がカタチになっていくことで、血・育ち・教えへと循環していく。
この小さな循環と大きな循環の2つの循環。
この上の層には、地域や業界の循環があり、その上には人類の歴史の循環があるのだろう。
人は誰もが、この循環の大切な一員なのだ。
また時として、成長ではなく変容するタイミングが現われる。
変容とは、幼虫が蛹に変わる、蛹が蝶に変わるというような、線形的な変化や成長ではなく、非線形な劇的な変化だ。
僕の場合、小学5年生のとき、大学4年生のとき、そして最近と3回の変容を経験した。
病弱だった子どものころから、スポーツを始めたことで、自分の中にある可能性に目覚めたたことによる変容。
個人が強くなるだけでは限界があり、リーダーシップも必要だと気づくことで変容できた大学時代。
家族と歩むことことを魂の成長として学ぶ今。
では、変容はどんなタイミングで起こるのか。
①血育ち教えの解釈が変わる
②志を抱く、または変わる
③大志を抱く
この3つのどれかになるのではないか。
1、生まれ育った地域や国の歴史に触れることで、今まで当たり前のように見ていた景色が一変し、全く違う景色として映るようになり、血・育ちの事実は変わらないが解釈が変わり変容する。
2、実践を繰り返す中で、エッジエフェクトが連鎖的に起こることで3つの円が広がり、これまでは関係ないと思っていたことが自分事に変わり、志が変わることによる変容。
3、もう一層上にある自分の影響外にある歴史の大転換やテクノロジーの進歩、大規模災害による価値の強制的変化に伴い、志を抱く(または変わる)、または大志が定まることによる変容。
これらを自らの意志で変容を起こしていくことを考えた時、謙虚な学びと出逢いの大切さに気付かなければならない。
歴史、テクノロジー、異業種からの学び、そしてご縁が、変容へ向かう入り口へ導いてくれる。
3の自分ではどうすることもできない変化だとしても、それをどう受け止めて解釈するか、それは結局自分の意志でしかない。
新型コロナの問題に関してもそうだろう。
そうやって、成長と変容を組み合わせて螺旋を描きながら歩んでいくのだろう。
つまり、人はなぜ学ぶのか。
それは人となる道であり、変容への道のため。
それが生きがいなのではないか。
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