完全に個人的なメモとして残す。
「誠」
真実の道というのは、「自分がこれを開くんだ」というような考えでは、真に開けるものではない。
「自分が道を拓くんだ」というような一切の野心や計らいが消え去って、このわが身わが心の一切を、自分自身がつとめに向かって捧げきる「誠」によってのみ、開かれる。
「誠」とは、自己の精一杯を尽くしながら、しかもその足らざるを歎くもの。
(修身教授録 森信三 より)
「フロー」(空)
意識する自分が消える。
自我がない世界に突入し、無我夢中になることだ。
意識する自分がいなくなれば、自分の思い込みに囚われることもなくなる。
夢中になり自我が消え、環境と自分が自然と連動している状態が「空」である。
夢中になって壁すら意識しない時に、いつの間にか壁を乗り越えている。
そのとき身体が、自然に最も大きな力を発揮している。
(熟達論 為末大 より)
この誠とフローは、すごく共通点が多い。
この境地に達するために、「誠」の場合は、志が大事であり、フローの場合は、遊が大事になる。
つまり、「志」と「遊」も実は似ているのではないか。
chatGPTに聞く。
1,自己表現と充実感
「志」は、志を追求することによって、充実感や満足感を得ることができます。
「遊」は、楽しみや喜びを追求する活動を指し、自分自身を表現し、楽しさや喜びを体験します。
2,自由と創造性
「志」の追求や目標達成は、自己実現を通じて自由な意志を発揮する機会を提供します。
「遊」も、自由な精神を育むことができ、創造的な方法で時間を過ごすことができます。
3、意義と幸福
「志」の達成は、個人の幸福感に寄与することがあります。
「遊」も、楽しみや喜びを通じて幸福感を高めることができます。
つまり、志も遊も、自己表現と自由と創造力と幸福を追求するという共通点がある。
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