ど真ん中名刺の打ち合わせで、岩井くんと雑談しているときに人生の20年ごとの役割についての話をした。 これはまちづくりにも当てはまることなように思っている。
0~20歳 血と育ちの影響がもっとも強い時期 家庭環境と両親からのしつけが、人間形成に影響を与える。
20~40歳 社会に出て、友や師と出会い「教え」が自分を作り出す大きな要素になってくる。
血と育ちと教え。
この中で「教え」の部分の役割が少しずつ大きくなる時期。
この時期に師と出会うことはとても重要だ。 20年かけて形成された「血と育ち」だけでは、親の姿を演じる名優でしかない。
ここから名優ではなく、主役の人生を歩むうえでも、同じ20年という時間を使い、自分の道を探る。
だからこそ、師を求め、教えを吸収することはとても重要な時期。
また、この時期にこそ多くのチャンレジをして失敗を経験することも重要。
この時期を逃すと、ひとつの失敗から立ち直ることが厳しくなってくる。
40~60歳 「四十にして仕う。」(礼記)
つまり、人は40歳前後から本物の仕事ができるのだ。
逆にいうと、40歳までは、修行の時期だとしっかりと心に留める。
どれほど成功体験を積み上げたとしても、まだまだなのだ。
その理由のひとつは、人生の秋(衰え)を感じる年齢に達して、初めて人生の下り道を自覚し、これまでとは違う視点をつかむことができるから。
その時期は決して長くはない。
身体の衰えを考えると20~30年ぐらいが本物の仕事ができる時期だ。
つまり、人生とは短いのだ。
60歳~ どんどんチャレンジをする20~40代の若者にアドバイスやいい刺激を与えるメンターとしての役割。
決して老害になるのではなく、若者の背中を押してあげられる存在になること。
それがこの時期の役割だ。
言葉では簡単だが、老害にならないようにするということは、これまで以上に学ぶ姿勢が必要だということ。
この一生の20年ごとの役割を考えたとき、個人にも地域にも当てはまると思っていて、 20~40代に、チャレンジすること自体を肯定できる世界であること、成功も失敗も許容できる空気とシステムがあるかどうか。 60代以降の人間が、どれほど若者と接点を持ち、サポートできるシステムがあるか。
この人生のタイミングをうまくマッチングできる仕組みが地域にあると、地域は自ずと活性化するのではないかと思っている。
若者はチャレンジを肯定され、本物の仕事ができる時期は思いっきり働くことができ、年老いても、必要とされる存在であること。その一切は、次の世代を作る礎になっている実感があること。
逆算すると「志」はいつ立てるべきか。
それは15~20歳ぐらいの時期になるのだろう。 この時期に志を立てるからこそ、20歳~40歳の間に、夢や野心を抱きながら多様な手段にチャレンジして志を成し遂げようというアクセルになる。
志がなければ、目の前のチャンスを活かすことも、エネルギーも沸きずらいはずだ。
この志を抱き、がむしゃらに動くことが、自立する力となり、40代から本物の仕事ができる時期に突入できる。
こんな道筋なのだろう。
「伝記を読む時期」はいつか。
それは、2通りあるそうだ。(修身教授録より)
まずは志を立てる時期。 つまり、15~20歳ぐらいまでの時期に世界の偉人たちの生き様を知ることは、志を立てる上で非常に参考になる。
この時期に偉人たちの生き様に出会う機会を逸することは、後悔することになりそうだ。 自分の反省も込めて…。
次に読む時期が、35~40歳の時期。
つまり、ここから本気の仕事に向かおうとするとき、改めて志を新たに羅針盤として読む。
そのときは、世界の偉人ではなく、身近で生きた偉人に近い存在の生き様に触れることが大事なんだそうだ。
同じ郷土、同じ境遇に近いような身近な人の生き様から学ぶ。
決して遠い世界の話ではなく、たどり着けないような結果を出した人ではなく、同じ空気を味わった人の先輩の生き様だ。
この2度目に読むべき人生の物語。
これは、どこで出会えるのだろうか。
これこそ、ど真ん中名刺と同時にど真ん中マイストーリーとして書き記し、残す作業は価値があるではないか。
無名なひとりの自伝が、次の世代のために残せる宝にかわるように思う。
安岡教学にも通じる。
すこし難しい文章だが、ゆっくりと、じっくりと、読んでもらいたい。
地方に生きる大切な役割が記されている。
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