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執筆者の写真yamashina shigeru

倫理と算盤

昨日は、金沢市南倫理法人会主催の「倫理と算盤」という勉強会の講師としてお話させていただきました。

講師依頼をいただいたとき、僕にとって一番遠いテーマだという印象でした。

「倫理と算盤」という2つの言葉が並んでいますが、やはり「算盤」にフューチャーした勉強会です。

にもかかわらず、ぼくは算盤をあまり意識せずこの10年突っ走ってきました。

そこで、素直に自分が感じたテーマに対する違和感を中心にお話させていただきました。



「倫理と算盤」

このテーマに対してぼくが思った違和感は3つあります。


1,なぜ倫理を学ぶ経営者に、改めて「算盤」が必要なのか


算盤が得意であろう経営者が、もう一歩進めて「倫理」を学んでいる。

その経営者が、またさらに「算盤」を学ぶということ。

何か、それ自体にちょっと違和感を感じたわけです。


2,倫理や道徳を学ぶことは欲のない弱者の道なのか


「倫理と算盤」というテーマには、倫理だけでは少し物足りない。現実社会の中で、競争だったり、サバイバルだったり、強さだったり、そういったマインドも大事なはず。

そんなニュアンスが含まれているのではと察したのです。

逆にいうと、倫理や道徳というのは、極端な言い方をすると、弱者や優しい心の道なのか?

いや、違うのでは?

そんな違和感です。


3,「倫理と算盤」という対称的表現は正しいのか


ぼくが常に意識している「ど真ん中を生きる」というテーマ。日頃、その視点でどうしても物事をみてしまう習慣があります。

そのときに感じるこの2つの言葉の対称的表現。

倫理と算盤は反対の意味の扱いで正しいのか、、、そこに違和感を感じました。

 

この3つの違和感に対して、みんなと考える時間とさせてもらいました。



まず一つ目のテーマから

なぜ倫理を学ぶ経営者に改めて「算盤」が必要なのか

このテーマを考える上で、少し江戸時代までさかのぼり、倫理と算盤に関しての歴史を振り返りましょう。


江戸時代は、士農工商と言われるように、武士(武士道、儒教)が上であり、商人(算盤)が下のように捉えられていた時代でした。

武士は食わねど高楊枝、といった清貧の思想。

もちろん理不尽なことはいっぱいあったにせよ、倫理的な思考が優先された時代だったのではと思います。

そこから世界では産業革命が起き、その波が日本にも押し寄せ、明治維新が起きる。

そして、列強に追いつくことを考えた明治政府は、これまでの価値観を180度転換したわけです。


倫理的思考から算盤的思考に一機に変化させたわけですね。

ただ、世界は、宗教がベースにありながら産業革命があったにも関わらず、日本は心の支えとなるベース自体をも一度ゼロにしてしまった。

 

そこを嘆いた渋沢栄一が、「論語と算盤」という価値を復興させ、事業に乗り出す。


しかし、世の中は世界大戦に突入します。

算盤的思考が加速し、世界から日本人はエコノミックアニマルと呼ばれるまでになります。

もちろん、その礎のおかげで今の日本があるのは確かです。


そんな中、倫理法人会の経営者モーニングセミナーがはじまりました。

経営者は、短絡的に算盤だけを追い求めることは違うと。


しかし、まだまだ算盤的思考が優先の世界は続きます。

これは、資本主義と人間の本能が結びついた結果なのだろうと思われます。

日本はバブル景気を体験する。


そして1990年代に入り、バブル崩壊、いまも続く失われた30年という時代に突入。


そんな中、2000年に入り、ソーシャルビジネスやSDGsといった、社会課題をビジネスで解決しよう、持続可能な開発を考えようという素地が生まれ始めている。

倫理的思想と算盤的思考の融合を考える時代だ。

 

これが、今の時代のざっとした流れなのだろう。

つまり、今の経営者は、まだまだ算盤的思考で未来を切り開こうとするマインドと、倫理的思考を重んじようとするマインド、両方を考えるマインドと、いろんなマインドが交差しているのではないか。

 

自分は何を目指そうとしているのだろうか。

ここで、ブルーハーツの甲本ヒロトの言葉を聞いてほしい。



何のために「倫理と算盤」を学ぶのか?

この問いに、もう一度向き合うことがとても重要なのではないか。

何のために、この仕事を選んだのか。ゴールは何なのか。



次の疑問です。

倫理や道徳を学ぶことは欲のない弱者の道なのか

これに対して、森信三先生が修身教授録の中で答えられています。



倫理や道徳、修身といった自分を修めようとする学問が目指す方向です。

一見、イメージとしてやさしい人間になるための学問のように感じるが、実は全く違う。

違うどころか、真逆だと。


自分のための欲を捨てるということは、弱い人間になることでは決してない。

自分ひとりの欲なのではなく、天下の人々の欲を満たしてやろうという大欲に転ずるということ。

ある意味、強者の道だ。


これこそが、倫理を学ぶ大きな理由だろう。

ではそんな大欲に転ずるために、まず何をしなければならないのか。



それこそ、志を抱くことだろう。

自分はどんな人間になりたのか。

自分の心で、私利私欲なく、強く思ったことは何なのか。

それを自分の言葉として言語化する。


言語化して初めて、その志は本物なのかどうなのか、、と、さらに深く省みることができるようになる。



次の疑問はこれだ

「倫理と算盤」という対称的表現は正しいのか

これは、ど真ん中を生きようと志す人であれば、同じような疑問を思うのではないか。


つまり、仕事は仕事、趣味は趣味、ボランティアはボランティア。

そんな感じで仕事と趣味と社会貢献を別のものととらえる生き方であれば、倫理と算盤は、対照的な表現となるだろう。


しかし、仕事でありながら、社会貢献活動であり、自分自身もワクワクしている。そんな3つを掛け合わしたところを仕事とする生き方であれば、そもそも倫理も算盤も、全く同じものだと捉えることが自然なのではないか。



たとえるなら、CSRのような本業とは関係のない分野で社会貢献活動をするのではなく、CSVのように、本業に通じる世界の中で社会貢献活動をする。

さらに言えば、そのCSV的活動を仕方なくこなすのではなく、ワクワクするから、楽しいからやる!

CSV×ワクワク、そんな気持ちで取り組むことが持続可能な活動になっていくはずだ。

 

仕事×社会貢献×ワクワク、最初からど真ん中を目指せばいいのではないか。

これは、ぼくなりの視点でしかないのだが。


しかし、人類誕生からの歴史を振り返ると大きな気づきがある。



京都大学の広井教授によると、人類はこれまで2度の転換期があったと。

人口と経済の発展と自然との関わりの中で、社会が成長している時期は、物質世界に興味関心が行く。しかし、その成長が止まってくると、外の世界から内の世界へシフトする。心の世界だ。アートだ。


その大きな転換が、これまで2度起きてきた。

そして、今ぼくらが生きている時代は、ちょうど3度目の転換期に迫ろうとしている。

 

この歴史を俯瞰してみたとき、倫理と算盤を学ぼうとする心は、人類にとって必然的なモチベーションなのかもしれない。


ぼくは、今を生きる経営者が「倫理と算盤」を学ぶ究極の目的は、


我欲を捨て志を抱き

新しい時代の到来に向け

人類進歩の捨石となる大欲に転じ

仕事×社会貢献×ワクワクする

ど真ん中を生きる道を切り開くこと。


そんなふうに、今回講師の依頼をいただき考えた。

最後に、ぼくの大好きな論語を紹介させていただきました。




人が道をつくるのだ。

道が、人をつくるわけではない。


他者の道を歩くことが、自分をつくるのではない。

自分がつくるしかないのだ。




これは、ど真ん中名刺を作るためのワークショップで利用するワークシートです。

ここに書かれてある太文字部分を考えていくことになります。


ぜひとも、興味のある方は、一度ど真ん中エディットワークを受けていただけたらなと思っています。


次回の「倫理と算盤」では、会社のビジョン、ミッション、バリューをカタチにして、社内に浸透させていくための話になるのではないかと思います。

 

それを考える上で、会社の前に、自分の在り方を言葉に落とし込む作業として、ど真ん中エディットワークを利用してもらえればと思っています。


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