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執筆者の写真yamashina shigeru

出会いと選択と決断と



酢谷さんに娘の似顔絵を描いてもらった。

その似顔絵は、娘が大人になったことをイメージした絵だった。

最近その絵と娘が似てきている。

 

また、酢谷さんにはカメラ講座を半年間にわたって開催してもらった。

これもご縁である。

以下、酢谷さんの文章。



思えば僕の人生は華々しくスタートした。

 

保育園の頃から運動が得意で、逆上がり、側転、前転など誰よりも最初に出来た。かけっこも保育園で一番だった。

 

小学校3年生の時に一人の友人と出会いサッカーを始めることになる。サッカーも御多分に洩れず直ぐに頭角を現し、3年生で5、6年生がメインの少年団チームに選ばれた。5年生になると、高岡の選抜チームにも選ばれていた。

 

中学に上がっても1年生からレギュラーで、身体も大きかったので上級生にも負けていなかった。

 

中学の実績を買われ、高校はスポーツ推薦で入学した。中学から始めたバンド活動で部活が疎かになり1度はレギュラーを外されることはあったが、それ以外は引退までレギュラーに選ばれ続けた。

 

正直に言えば体力もある方ではないし、持久走も嫌いでサッカー向きじゃなかったと思っている。

それでもずっと一線で活躍してこれたのは、親から貰った恵まれた体格と運動神経があったからだと思う。

 

大学は千葉県にある国際武道大学という体育大学に推薦入試で入学した。

サッカーでプロになることは諦め、一時期は体育教師かスポーツトレーナーの道に進もうと勉強することに。

しかし、2年生になると身体を動かしたい心が芽生え、当時格闘技ブームだったこともあり、ボクシングを始める。

 

ボクシングでも2年、4年で県民大会優勝。

但しこれは僕のいたミドル級という階級の人口が少なく、1回勝てばもれなく優勝というカラクリがある。

 

大学最後の大会で優勝すれば国体に出られるので、国体に出てそこそこの成績を収められればプロになるという夢もあったが、人生はそこまで甘くはなく、僕の夢も儚く散ることになる。

 

大学までスポーツ漬けの毎日だった僕だが、社会人になると人生の転機が訪れた。

社会人1年目の秋に一人で滋賀に旅行した時、当時のガラケーで撮った写真が余りに拙く、お金に余裕があったのでデジタル一眼レフカメラを購入することにした。

 

最初に買ったカメラはPENTAXのK100Dと言う600万画素のカメラ。

このカメラで色々な物を撮影するうちに、フィルムカメラや他のカメラにも手を出すようになり一気にカメラ沼にハマることになる。

 

社会人2年目でまた僕に転機が訪れた。

会社の倒産だ。

大卒で入った会社が2年目で倒産というのも何とも不運だとは思うが、今思えばこれがカメラマンになるキッカケになった。

 

新しい仕事を探す僕は、何とか写真に携わる仕事がしたいと、経験もないのに片っ端から写真館などに電話して直接交渉した。

しかし、経験もない人間を雇う余裕など街の写真館にあるはずもなく…、あっさり断られ続けた。最後は販売員でも何でもいいからカメラと携わる仕事をと、某カメラ量販店に就職することになった。

 

そこでは持ち前の知識で、カメラの販売から常連さんの相手など殆どのことをこなしていた。

それでも働きだして4年経ち29歳の時に、このままではカメラマンにはなれないと、一大決心をして転職することに。

 

僕が転職したのは高岡市にある結婚式場だった。いわゆる式場カメラマンになったのである。

就職してから1ヶ月も経たずに本番撮影デビューを果たし、1年で100組以上の撮影を経験した。


しかし、式場カメラマンはスナップ主体の業種なので、スタジオライティングを学ぶ機会がなかった。

もう30歳目前。このままでは独立するのは厳しいかもしれないと判断し、式場カメラマンを辞めスタジオカメラマンになることに。

 

スタジオには式場カメラマンの経験があったので、経験者扱いですんなり入ることが出来た。

 

同時期の2013年春、当時地元伏木で似顔絵を書いていた先輩と出会ったことで僕の絵画人生が始まる。

 

最初は自分のホームページを作るために似顔絵の写真を撮って欲しいと言う依頼から始まった。先輩の家に行くと大量の似顔絵が並んでいて、どれも似ていて魅力的だった。写真をひとしきり撮った後で暇そうにしていた僕に先輩が

 

「描いてみる?」と一言。

 

その場のノリで描いた絵は、今見るとそれはそれは酷い出来だった。

 

でも先輩は、

「結構上手いね。」と褒めてくれた。

 

この一言で火が点いた僕は、それ以降毎日のように似顔絵を描いては先輩に見せていた。そして先輩の家に行っては似顔絵を描くようになった。

 

今思えば、家族もいる先輩にとっては迷惑な話だったと思う。それでも嫌な顔もせず迎い入れてくれた先輩には感謝しかない。

 

絵を描き始めて5年経った今、僕にまた新たな転機が訪れている。今まで自己満足で自分の為に描いていた似顔絵を販売したり、イベントに参加するようになったのだ。

 

きっかけは、この本のイラストを担当しているtomokoさん主催のイベント「お絵かき描こう会」へのお誘いだった。

 「

お絵かき描こう会」では、tomokoさんがいろいろなイベントに参加したり、ブログを書いていたり、ネット販売をしていたり、SNSに作品を上げていたりと、いろいろ参考になるお話を聞けた。

 

僕もこのまま燻るのは嫌だなと思っていたので、一念発起しブログを立ち上げ、SNSによる発信を始めた。

 

すると嘘のように、いろいろな人からお誘いを頂くようになった。

「お絵かき描こう会」では2回目から共同主催をするようになり、横浜でベトナム料理屋を営んでいる友人からはイラストの依頼がきた。式場カメラマン時代の調理場の先輩からは、イベントで似顔絵を描く依頼もきた。

 

今はカメラマンの仕事も絵の仕事も少しずつ依頼を受け始めている。10月からは講師として写真講座も始まることになった。

 

僕のど真ん中にある一時期は忘れかけていた「人に伝え教える」と言うことを始めることにした。

 

僕はまだスタートに立ったばかりだ。

 

今年で35歳。

20代の方から見れば十分おじさんの部類に入るだろう。

40代以降の方にすればまだまだ若いと言われる狭間の年代だ。

 

始める時期に遅いも早いもないとは言うが、やはり早いに越したことはないと個人的には思っている。しかし過ぎた時間を後悔しても時間は戻らない。

 

20年、30年という長い目で見たときに、いろいろな選択肢の中から選んで来たこの道を正しい道だったと思えるように、今を生きて行こうと思う。


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