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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

味方でいること

ど真ん中名刺を作る工程は、その人その人によっていろいろだ。徹底的に理解できるまで何度も相談される方、これでお願いします!と決断して一切相談なしで作られる方。今回ご紹介する益田さんのど真ん中名刺は、無駄なものを一切省き、研ぎ澄まされた名刺を作られた。

その名刺には「味方でいること」と書かれてある。

当然彼女は、学校の先生だということも知っていた。なので、単純に生徒の味方でいるということに、信念を持たれているのだろうなと思っていた。

今回、ど真ん中名刺デザインブックの執筆を依頼したことで、より深く名刺の意味を知った。以下、益田さんの文。



味方でいること

「目に見える全てのものは、色の粒でできている。」

そういう風に世界を見ていた子ども。

だから私は、点描の風景画や人物画を好んで描いていた。


そして、私は25歳の今日まで「子どもの幸せが気になる益田里奈」として生きてきた。


下校中、車に乗せられて誘拐されそうになった時「命」を感じた。

急に明日がなくなるかもしれないということを自覚した。

いつも陽気に通っていた道が、恐怖の道に変わった。

当時、子どもが襲われるというニュースを見るたびに

「この子は毎日怯えていないだろうか。怖かったね。大丈夫じゃないよね。私も怖いよ。」と心の中で呟いていた。

同時に、

「大人の自分勝手で、子どもが怖い思いをするのは何かおかしい。」

「毎日『怖い』を感じて生きている子どもがたくさんいるのを、大人たちは知らない。」

7歳の頃からずっとそう思っていた。声にならない声を大人たちにぶつけていた。


私はこの事件をきっかけになのか、自分がそう選んだのか、男の人が怖くなり、同級生の男の子とも話せなくなった。


何をしても無口で、無表情の子どもは、いじめられる役を担い、小・中学校時代は卒業まで逃げられない地獄を味わった。

この時は、笑うこと、人前で話すこと、一緒にご飯を食べることが当たり前にできない状態があることを学んだ。

毎日自分に、悪い言葉を浴びさせて、自分を責め続けると、どんどん心がぼろぼろになっていくことを学んだ。


「もう限界。」

そう思っていた中学3年生の秋、右手の痺れを感じ、病院で背骨の病気だと診断された。

そのまま東京で入院した。


手術後、

「あなたは、親から2度も『命』をもらったのだから、この先自殺なんて考えてはいけないよ。親に感謝だね。」

とそのお医者さんはおっしゃった。

全てお見通しだった。その時から、生き方が変わった。


「今日から、何があっても生きる選択をしよう。感謝する生き方をしよう。」

と決めることができた。


一緒に入院されていた方々の中には、重篤で私はとってもちっぽけな悩みを抱えていたことが分かった。

人との出逢いで、価値観がガラリと変わることを知った。

嫌なできごとは誰かのせい、環境のせいにしていたが、そうではないことを感じた。

新しい見方が私の味方になった。


ほんの数日間だけでも、意識はあるけれど、身体が全く動かない状態を体験することで、私の「幸せのハードル」は一気に下がった。

この病気のおかげで、人工呼吸器ではなく、自分で呼吸できる喜び、点滴のブドウ糖ではなく、ご飯が食べられる喜びなどを、いつでも味わうことができるようになった。

私は「感謝を忘れてしまったとき」この記憶を利用して、時々立ち返る。


その10年後。

人一倍学校嫌いな私が、地元の小学校教諭として働かせていただくことになった。


「子どもの幸せが気になるから、子どもの幸せのために命を使う。」

「家族以外で、子どもの味方でいられる大人になる。」

そう思って選んだ道。行動。


他者から見たら、大した経験ではないかもしれない。

しかし私にとって、これらの経験がなくては、今の私にはなってはいない。

1つ1つの感情が全て大事で、必要だった。

今、出逢えている素敵な方々とは、これらのできごとなしには絶対に出逢えていなかった。

だから私の人生の悪い役を担ってくれた方々に、今は、感謝している。

そうせざるを得なかった背景って何だろう。


これからが、これまでを決める。

「いいなと感じる種」を増やしていく。

それは、きっと、いい未来に繋がっている。



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