士業のような資格そのものが職能になっている場合、働く手段と働く目的がなんとなくごちゃっとしている状態というか、手段と目的の境界線があまりない状態になっている。
士業の種類にもよると思うが、社会的立場みたいなものがあるので、あまり、自分の肩書や資格に対して、拡張したイメージや、拡大解釈をすることが、あまり許されていない。
ただ、ここで指摘したことが問題かというと、別に問題ではなく、むしろそうあるべきなのかもしれない。職能を明確にし、あまり拡大解釈を入れないことで、安全性を信頼を確保しているのは確かだろう。
しかし、実際その資格を有し働いている本人にとって、本当にその資格が、働く目的なのだろうか。
ひとりひとりに人生の物語があるはずである。
この自分の物語を表現して、ど真ん中名刺にしようとしたときに、士業とど真ん中名刺の相性に多少問題が生じる。
まあ、問題というか。誤解を含めた少しのリスクを背負って自己を表現できるか。
「公」に近い仕事であるからこそ、なかなか「私」を表現するのは難しい。
その中で、どう自分を表現するか。
そのときにポイントになってくるのが、3つの実践だ。
自分にとっての職能に向き合ったことで、どんなニーズに気づいたのか。
どんな喜びに出逢ったのか。
needsとwantsがあるからこそ、目の前には実践すべき領域があるはずだ。
それは何なのか。
ここに素直に向き合えるか。
またこの実践すべき領域こそ、100人同じ職能の人がいたとしても、100通りの実践があるはずだ。
ここに何が当てはまるのか。
ここをぜひ考えてもらえると、すごく多様な働き方と生き方、考え方を発信できるのではないかと思っている。
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