将来の夢が「お花屋さん」だった3歳の私へ
- yamashina shigeru
- 2019年9月19日
- 読了時間: 4分
言葉はすごい。いったい誰が言葉を発明したのだろうか。言葉があることで、頭の中のイメージが一気にカタチとなり、無限の可能性が広がる。
彼女とのど真ん中名刺の打合せは、まさにそうだった。
やりたいことのイメージはある。それを一体どんな言葉で表現すればいいのか・・・。
そのヒントは、結局人生の中で何を選択してきたか、、、その偶然の中にしかない。
以下、文章。

幼稚園の時、「史菜ちゃんも一緒にお花屋さんになろうよ」と友達に言われて、ケーブルテレビのカメラに向かって「将来の夢はお花屋さんになることです」と言った。
小学生の時、父親が好きな「鉄腕アトム」を読んでロボットを作ろうと思った。
卒業制作の書道作品には「科学の子」と書いた。
高校生の時、理数科に進んだけれど先生に「国語の点数が良いから文系で受験した方が良い」と言われ、大学は文学部に進んだ。
上京して間も無く、キャンパスで活発そうな女の子に「サッカー部に入らない?」と言われて、気づいたら入部していた。
オフサイドも知らなかったのに。
なんとなく入社した出版社で、編集を希望したが「お前は営業だろ」と言われて営業をしていた。
それなりに、営業成績は良かった。
でも、人に流されて夢を貫けなかったこと、明確な「好きなこと」がないことを負い目に感じていた。
そんな中、
友達は、医者になった。
友達は、大企業に勤めた。
友達は、フランスへ留学に行った。
友達は、プロのダンサーになった。
友達の何もかもが羨ましく思えた。
一念発起して会社を辞めて、アメリカに行ってみた。
だけど、私が「やるべきこと」がアメリカに転がっている訳ではなかった。
富山に帰ってきて、名乗り始めた「フリーライター」。
人生の転機のように見えるかもしれないけれど、これはお金を稼ぐために自分にできるのが「書くこと」しかなかったから。
「史菜ってすごいね、独立したんだ!」
と言われて、足掻いていることがバレなくてよかったと安心したり、
「史菜って今何してるの?」
に明確な答えが出せなくて、悔しくて泣いたりした半年間。
そんなことで、と思うかもしれない。
でも、そんなことが私の心を占めていた。
お金をいただくために自分にできることを始めたはずなのに、文章を書いていると、「私の心動いた体験だけを書いていきたい」と思うようになった。
忖度とか配慮とか、そんなものたちから解放されて自分の心に素直に表現したい。
唯一自分にできそうなことが「書くこと」だったのに、ライターになったらこんなにエゴが出てきた自分が憎かった。
けれど、そんなエゴに「をかし」という素敵な名前をつけてくれた人がいた。
そして、そのエゴをそっと後押ししてくれたのは、新しくできた家族だった。
フリーランスになるとほぼ同時期に結婚した。
どちらも、ハタから見たら人生の大きな選択をしたように見えるだろう。
でもどちらも「自然」で「通過点」のような感覚。
富山でも東京でも仕事があるから、一緒には住めないよ。
自由に仕事させてね。
あ、でも大企業に勤めてる旦那ができたからって、財布を頼るようなことはしないから安心して。
いつか、タイミングが合えば一緒に住もう。
……それでも結婚してくれる?
人に言われるまま、思いつくままにフラフラしてきた私をずっと見てきた彼は
「そんなこと、7年前からわかってるよ」
とひとこと言った。
また鉄腕アトムを作りたくなったら、もう一度学びなおせば良い。
文学部に進んだから、書くことの楽しさを知れた。
サッカー部に入ったから、最高の仲間と仏のような旦那に出会えた。
営業の経験を積めたから、フリーランスになっても書類作りに苦労しない。
自分のエゴに「をかし」という名前がついたら、そんな風に思えるようになった。
そして、自分の人生の方向が決まらないなら、いろんな人に会っていろんな人生を聞こうと思った。
WEBメディア「をかしのカンヅメ」は、たくさんの出会いと、決断と、迷いが詰まったインタビュー集。
私と同じように、どこへ向かえば良いかわからない人たちの背中をそっと押すメディアに育てていこうと思う。
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