今朝の朝ランで、ひらめきがあった。 自分の目の前の仕事、なすべき仕事に向き合うときの話だ。
ど真ん中を生きる上で、はじめのスタートラインは、自分の目の前の仕事に没頭する。向き合うところから始まる。(must)
すると、いままでできなかったことができるようになる。
そんなことがひとつ、ひとつと増えてくる。(can)
人は何かに没頭するには、まず没頭できることを人並以上にできることが第一条件だろう。 そして、できることが増えてくる、またはスキルが上がってくると、「自信」が増す。
すると、さらに没頭できるようになってくる。
その状態が続けば、自然に他者から「あ、こいつは信頼できるな」と評価が上がる。
この自信と信頼の好循環が生まれてくる。
must→can→trust→must→can→trust→
この循環が生まれてくることで、 「この仕事にはこんな意味があったのか」 と、いままで気づかなかった仕事の見た目の意味ではなく、本当の意味に気づくようになる。
must→can→trust→mean
この最初の循環が、ど真ん中への歩みのスタートだと理解していた。
しかし、自分ごととして考えると、実はちょっとちがった。
それが今回の気づきだ。
むしろ、それは気づいてはいたのだが、僕自身の体験は特例であり、上記の流れが一般的だろうと思っていたのだ。
結論を言うと、
仕事の本当の意味を理解することは、ある程度の時間をmustに費やすことで理解できるようになるのではなく、むしろ何よりも先なのではないか。
真っ先に取り組みべきことこそ、「仕事の本当の意味」は何かを理解することなのではないか。
なぜならば、なすべきことに向き合うときに大事になるのは、なすべきことに没頭できることだ。
なすべきことが好きとか楽しいとかではなく、まず没頭すること。
没頭の先に、好きや楽しいがあるはずだ。 しかし、心と体が矛盾している状態では、没頭なんてできるはずがない。
だからこそ、多くの場合、好きを仕事にしたいという発想になるのだろう。
または、没頭できるのは特別な才能なのだから自分にも難しいと。
本当にそうだろうか。
ぼくの話をしよう。
この仕事をしよう!と覚悟はできた。 ただ覚悟があるから動けるか、没頭できるかというのは別問題だったんだ。
覚悟があるのに、体が動かないという時期があった。
その時、ぼくは何をしたかというと、手当たり次第に「印刷業」の意味を調べまくった。
自分自身が腹に落ち、自分の言葉で語れるまで。
それができた瞬間に、無心に没頭できる能力を手に入れることができた。
must→mean→can→trust→can→trust
ということなのではないか。
さらに、一歩進めて、 「では仕事の本当の意味を知るためには何が必要か。」
それこそ 友の言葉 師の言葉 本の言葉
なのではないか。
自分が、今なすべきことに導いてくれたご縁。
そのご縁につなげてくれた友や師や本の出会い。
その出逢った言葉の光に照らされて、仕事の本当の意味に気づく、または見つけることになるのではないか。
だからこそ、学びが大事であり、ご縁が大切であり、ともに学ぶ仲間の存在が必要なのではないか。
そう考えたとき、さらに大きなことに気づいた。
20歳ぐらいまでの学生でいるときに、どれだけ多くの人との出会いや経験や本を読むということの重要さだ。
そのときの何気ない一言が、人生に意味を生み出していく。
つまり、社会全体として、ここに大人の責任があるように思えた。
10代の若者に、どれだけ多くの大人が本気で関わってあげられるか。
そんなことからワークシートに少し矢印を書き足した。
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