決めることのスピード感
そこにその人がどんな人生を歩んできているのか、僅かではあるが感じ取ることができる。
もしかすると思慮深くない、軽率という表現もあるかもしれない。
ただ、社会にでて修行の身であるとき、決めるスピード感は他を圧倒する力となる。
人生40歳までは修行の身と言われる。
本当の仕事は四十を超えてから。
そのためには四十までの生き方が問われる。
青山くんの生き様は、好きだ。
以下、青山くんの文章。

生きるとはどういうことなのか。
生きるとは呼吸をすること、心臓が動くこと。というのが一般的な解答例、世間の模範解答だろう。
では、
死んだように生きた今日は果たして「生きる」と言えるのだろうか。
私にとって「生きる」とは…
私は高校時代にうつ(当時心の病気を知らず、うつという概念も知らなかった。診断を受けたわけではないので正確には言い切れないが、大学時代にうつの心理テストを受けた際状態が改善されたにも関わらず最高得点群になったことや、明らかにうつ症状と一致することから)になり、「生きる」ということに真剣に向き合ってきた。
正確に言えば向き合わざるを得なかった。
嫌でも目の前に飛び込んでくる現実。
死んだ目をして生きた毎日。
ただ時間だけが過ぎた。
ただ疾く一日が過ぎ去ることだけを願っていた。
でもどれだけ過ぎ行く一日を重ねようと明日は必ずやって来る。
そんな終わりのない苦痛のサイクルに絶望した。
そしていつしか「生きる」の終わらせ方を考えた。
希望の持てなくなったこの世界に悔いなどないと思った。
でも…終わらせることができなかった。
情けなった。
だったら何が何でも「生きて」やろうと思った。
この思いは高校3年の後期、受験を控えた一番大事な時期に実行に移した。
自分の考えの及ぶ範囲の、一番辛いことをやった。
喧嘩が弱い、暴力が怖い…。
だからシュートボクシングでプロを目指す。
人と話すのが怖い。そもそも人が怖い。
だからバーテンダーのアルバイトをする。
女性が苦手。手を繋いだことすらない。
女性はみんな私を嫌う。そう思っていた。
だから女装をしてドンキでナンパ。
そんなこともやって来た。
飛躍し過ぎていると思われるかもしれない。
でも、当時の私にはこれらの選択肢しか考えられなかった。
やるなら、一番辛いことを。
はじめはできないことばかりだった。
シュートボクシングでは、ジムの立ち上げから行い、週6の深夜まで及ぶ練習と土日は本場の関西に高速道路を車で走らせプロに交じり練習。
センスはなかったが継続は力なりで、公式戦にアマチュアデビュー、支部のキッズ空手の師範代として責任を任せてもらえるまでになった。
バーテンダーでは、最初の接客業がバーテンという明らかにレベル違い、「いらっしゃいませ」すら言えない笑顔も引きつってできないというところから始まった。
毎回数時間前になると現れる吐き気を抱えながらアルバイト先の重い木製の扉を開けていた。
唯一1週間の中で練習のない火曜日は同年代とは一切会わずに、一回りも年上の先輩たちとほぼ毎週キャバクラやスナックに同行させてもらっていた。
高いお金を払ってあえて苦しい思いをする、荒療治だと言い聞かせて。
おもしろくないながらも世界を知りたかった。
共通して言えることだが、「生きる」に対して急いでいた、焦っていた。
高校時代にできた「空白の時間」を埋める為に。
周りとの経験の差を少しでも埋めたかった。追いつきたかった。
だからいろいろな「できない」に総てを注いできた。
最終的にもできていないことの方が多いかもしれない。できないことは辛かった。
怒られる、迷惑をかける、不甲斐なさや自分の無力感に直面する。
それでも迷惑をかけた方には失礼ながら嬉しかった。
それでも「生きている」という実感がそこにはあったから。
できる限りのことは全部、やった。未知の経験や危険な状況から、明日生きているかわからないと感じながらも望む自分に大きく成長している感覚。
今を自分の枠を越えて全力で生きている。
それは自分の意志で、自分の人生を選択している。
そんな実感を頭ではなく心と全身で感じていた。
そんな中で一年が過ぎたころ、シュートボクシングは様々な事情が絡み、退会。
「ひと時も休むときがない状況から離れられる」という大きな安堵とともに、「もしこのままずっと続けていたら、未来はもっと違っていたのかも…」という深い後悔が今でも残っている。最後に決断したのは自分だったから。
日中に通っていた学校の中で同級生を見た。
「何でこんなに楽しそうなんだろう?」。
「何でこんなにも幸せそうなんだろう?」。
確かにやりがいや充実感はあった。しかし幸福感はなかった。
常に自分を追い込み、奮い立たせる毎日だった。
自分が大事にしていたもの、自分が望んでいたものがわからなくなった。
「何故自分はこんなにも努力しているのに報われないんだろう…」。
張り続けて保っていたものが機会をきっかけにフッと消えるのを感じていた。
そんな決断だった。
バーテンダーのアルバイトもシュートボクシング経由で入ったから連鎖的に行けなくなった。年上の先輩たちとの関わりも次第になくなっていった。
こうして私は「普通」の学生、「普通」の10代になった。
でも何故か「普通」になれなかった。
「普通」も辛いものだとわかってしまった。
心の中のつっかえが形、輪郭も伴って感じられる。
それは本来楽しいと思われているはずの飲み会やBBQ、学園祭といった大なり小なりのイベントから学校の休み時間、お昼ごはんそして日常の中のありとあらゆる場面で強烈な違和や息苦しさを感じる。
それは何か。
自分の中にできた「善悪」の無意識の価値判断。
それは考え方、捉え方の枠を越えて生理反応までに及んだ。
いわゆる「生理的に無理」状態がところどころで起こる。
あの必死の一年の経験からうつ症状は軽減され意欲や体力がある状態に快復したものの、対人恐怖や自己不信、周りとの劣等感といった頭と心のギャップに日々苦しんだ。
大学を卒業するまでも、社会人になってからも、苦しんだ。
私はひたすらに解決の答え、「生きる意味」を求めた。
高校時代は哲学から始まり(サルトル、ニーチェ…)、大学時代に心理学(臨床心理、NLP…)と自己啓発(7つの習慣、成功哲学…)、そして社会人になってからは古典や宗教(親鸞…)も勉強し、生きる答えを外に求め続けることに時間とお金の総てを注いだ。
自分はアスペルガー症候群なのではないかと周りから言われ、疑い、精神科の病院に問い合わせたこともある。
お寺の住職と個別に面談のお時間を頂いたり、マインドフルネス瞑想もした。
そして心理カウンセリングも受けた。
その中で少しずつ、自分の信念が形創られたと振り返ると思う。
「生まれた理由は自分で決めるもの」。
だったら何を決めるか?
私はこの遠回りの生き方を通して今現在のベストの生き方を「せずには」いられない。
それは過去の自分の祈りだからだ。
今の自分は過去の自分の歩みによって形作られている。
過去の沢山の人々の思いや言葉や関わり合いを受けた過去の自分の歩みが今である。
そして今、どう歩むかが未来の自分の道になる。
今は過去も未来も切り離せない、内包していると直感している。
その中でも私は過去の自分を無視することはできない。
過去に自分が叶えられなかった願いを今の自分が叶える。
今の自分なら叶えられる。想いさえ消えなければ。
今の自分でも叶えられなかったら?未来の自分に託す。
その為の布石は今の自分が担う。
こうして一人の人間の中で時間軸を越えて役割を担っていく。
以上が今の私の生き方の全容である。
この生き方をもって、私は成し遂げたいものができた。
心に囚われずに真っ直ぐに歩める世界を創りたい。
私は約10年間、一人で心の問題と向き合って来て、ようやくカウンセリングなどのプロの意を介することができた。
もっと早く、ましてや症状の初期の段階で出会えていれば、と思わずにはいられない。
加えて、周りを見ても大なり小なり心の問題で苦しんでいる人は沢山居る。
知ってか知らずか、カウンセリングも受けずに見ないものにしている人もいる。
これを少しでも変えたいと願う。
私は自身の経験から心理学の大学に行き、カウンセラーになるという道もあった。
が、ならなかった。そんな私なりの答えを、プラットホームや制度としてのインフラとして提供したい。
地方の情報格差を撤廃したい。
インターネットは偉大である。
が、ネットを越えたリアルの体験は未だその壁を越えていないと痛感した。
「この土地に生まれたから…」によるあきらめからの機会損失はもったいないと思う。
私はたまたま地元の枠から飛び出したが、そこに埋まる未来も十分にあった。
「この土地に生まれたからこそ」という地元愛に根付いたからこそ叶えられる夢。
是非機会やきっかけを提供したい。
これは単なる私の願いである。
あなたにとって「生きる」とは。
自分の運命を恨んだこともあった。
だからこそ、私は今日もその答えを自分の答えで紡ぎ出してみせると決めた。
マイナスと思われる出来事を経験できたからこそ、その重なりから私のど真ん中は見出せる。
この生きるに対する向き合い方こそが私の「ど真ん中」に座を据える。
このど真ん中を指針に、私は今日も、「生きる」。
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