実践型読書会
「答えようとするな、むしろ問え」
自分としての「冒険の書」を歩む
孫泰蔵氏の著書「冒険の書」を活用します。
もし自分であればどんな問いを立て、冒険に踏み出すだろうか。
大切な問いがあったはずなのに、見失ったことは。
真の発見の旅とは、
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
The real voyage of discovery consist not in seeking new landscapes, but in having new eyes. (本書2ページより)
自ら発見した「問い」からはじまり、他者との対話、自分との対話、本との対話、AIとの対話を通じて、「答え」ではなく、「新しい目」「新たな問い」を見つけていきましょう。
全6回コースの第4回目、後半に参加者の西田さんから「アンラーニング」のプチセミナーを開いていただきました。
▼「アンラーニング」とは?
それを受けての感想シェア会です。
推し活×環世界×アンラーニング
みんなの感想を聴きながら、ぼくの感想をまとめたいと思います。
詳細は、ぜひ動画をご覧ください。
いっぱい意見交換しています。
「アンラーニング」という言葉だけで捉えると、学び直し、一度いままでの経験や知識をゼロに戻して、考え直す。
結構、マッチョな方法のように感じる。
現実的に考えると、意味としては理解できたとしても、相当難しい行為だ。
ただ、みんなの考えを聞いていくうちに感じたのは、そんな難しい話ではなく、実はすごくシンプルな考えなのではないかということ。
つまり、アンラーニングとは、最初にはじめたときの気持ちを思い出すことなのではないか。
これは、ぼくの個人的な感想だ。
何か新しいことをはじめたときは、きっと、「楽しそう」「ワクワクする」という素直な欲求から始まることが多いのではないか。もちろんそれだけではなく、「お願いされたから」「自分の役目をいただいた」、そんなパターンもあるだろう。
しかし、それが時間が経つにつれて、変化していく。
すると、いつのまにか最初に始めた動機や気持ちを置き去りにしてしまっていることがあるのではないか。
「ねばならない」という考えが、いろいろへばり付いてきそうだ。
ぼくは、アンラーニングとは、この素直な最初の感情を思い出すことなのではないかと思えた。
人は、それぞれ独自の環世界で生きている。
マイナス的な要素で捉えるのであれば、脳のくせや思い込みがあることで、自分以外の人も、自分と同じ環世界で世の中を見ているはずだと勘違いしてしまう。
そのことによるコミュニケーションギャップが、いたるところであるように思う。
また、自分を環世界に閉じ込めることで、可能性の種を摘んでしまったり。
人と自分は、違う世界を見ているんだ。
ただ、大事なのは、「自分は自分の環世界を持っていて、こんな特徴の環世界で生きているんだ」と認知できているかどうか、なのではないか。
そもそも認知できていなければ、反省も改善もできない。
その環世界に気づくためにも、自分の行動の最初の感情を思い出すことが、とても重要だと思う。
自分を見失わないように、自分の環世界の境界線はどこなのかを知る。
どこまでが心地よくて、どこからが心地よくないのか。
始めたキッカケはなんだったか。
自分の環世界のはじまりに意識を戻すことで、自分の環世界を認知できるようになる。
推し活とは何か。
「私の環世界は、こんな景色だよ」「私の環世界に、参加しない?」という、環世界の宣伝PR行為に近いかもしれない。
そのことで、自分を守ることにもつながるし、自分を肯定することもできる。
ただ、推し活だけ、環世界だけに留まることは、成長につながっていかない。
アンラーニングをしながら、自分の環世界を認知する。
自分の内側にある世界の輪郭がくっきりすればするほど、自分の外側に広がる世界を感知できるようになるはずだ。
そして、自分の外側に広がる世界に、一度飛び込んでみて、自分の環世界を俯瞰して観察する。
地球を宇宙から眺める宇宙飛行士のように。
そのときに何を感じるのか。
これがアンラーニングの次のステップになるのではないか。
自分が宇宙飛行士になるためには、自分の素直な感情から始めることかもしれない。
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