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執筆者の写真yamashina shigeru

時間がない。

更新日:2022年10月14日

最近、いきなり「忙しく」なっています。

 

歴史を振り返ると、すごくオモシロイ出来事にであう。

ある一つのシステムが世の中を変える。 その世の中の変化が、そのシステムを壊す原因となる。 システムに依存すればするほど、そのシステムを崩壊させる原因となっている。 歴史ってその連続なんじゃないかって思えてしまう。

 

忙しい状態、つまり、誰かに必要とされる存在になりたい。

そんな気持ちで始めた活動を広げていくと、想定外にいろんな人に喜んでいただけるようになり、新しい活動が増えていく。

すると、「誰かに必要とされたい」ことを願って始めた最初の活動ができなくなってくる。これは正しいことなのか、成長なのか。



 

さて、「忙しくて時間がない」ってなんだ! 果たして、「時間がない」とはどういうことなのか。 このテーマで午前中はディスカッションを行った。


人知れず「ど真ん中組織コンサル」として活動始めています。 その活動の一環だ。



時間がないとは、どういうことか


考えることができる原因は2つ  1,空いたスケジュールを埋めすぎ問題  2,コストと時間の不釣り合い問題

この2つの問題をもう少し深く考えてみよう。


根本的な問い。

「時間がない」という言葉は真実か?

この言葉は、ファクトからきた言葉なのか、感情からきた言葉なのか。

ほとんどの場合、ファクトから来たと信じている。

現実に時間がないのだと。

まず、それを疑う。


ひとつめの原因だ。

1,スケジュールを埋めすぎ問題

時間を埋めるとはどういうことか。 時間は埋めようが、埋めまいが、一定のスピードで、誰もが同じ時間を過ごしているだけのはずだ。 にもかかわらず「埋める」という言葉が存在するのはなぜか。

何を埋めるというのか。

ただ呼吸しているだけでも、時間は過ぎ去り、埋まりつづけるにも関わらず。

つまり、ど真ん中エディットワークでいう、「3つの実践」のために費やす時間は、おそらく「埋める」という感覚にならないはずだ。 自分が置かれている情況であれば、やるべきだからやることだからだ。


「時間を埋める」という言葉は、3つの実践の外のことに時間を利用する行為なのではないか。 その時間が「埋める」という言葉を生み出し、「時間がない」という言葉を生み出しているのではないか。


次の原因

2,コストと時間の不釣り合い問題


「時間がない」と感じる感情は、なぜ生まれるのか。 その裏にある真実の感情とは何か。

ひとつの仕事を完成させるための時間と、対価としての利益に、差がある状態なのではないか。

「これだけの時間を費やしているにも関わらず、これだけの利益にしかならないのか…」

この不満、または不安が、「時間がない」という言葉を生み出しているのではないか。

たとえば、時間と対価が正常に釣り合っている状態であれば、「時間がない」という言葉は発生しないのではないか。

もうひとつは、お客様との関係性だ。

お客様は、単に納期と価格を守るという契約上の存在。 それ以上ではない関係なのではないか。

顔の見えないお客様、心が通じあえてないお客様との約束のための仕事。 そうなると、「時間がない」という感情が生まれるのではないか。


もし、顔の見えない相手でなく、ど真ん中を生きる仲間との仕事や約束だとどうだろうか。

ネガティブな感情としての「時間がない」という言葉は生まれないのではないか。


もう一歩議論を進めよう。


コストの問題、お客様との関係の問題が明確になったとする。 では、それを改善すべきかどうか。

ここも立ち止まって考える必要がある。

つまり

「仕事の本当の意味は何か」

「志は何か」

「大志は何か」

この自分の物語と改善策は、ちゃんと繋がっているか。 改善策は、課題を解決してくれる可能性は高いとしても、その行為は、自分の物語にマッチしているのか、矛盾していないか。

ここを今一度吟味する必要があるはずだ。

常に、自分の主人は自分である。

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