最近、いきなり「忙しく」なっています。
歴史を振り返ると、すごくオモシロイ出来事にであう。
ある一つのシステムが世の中を変える。 その世の中の変化が、そのシステムを壊す原因となる。 システムに依存すればするほど、そのシステムを崩壊させる原因となっている。 歴史ってその連続なんじゃないかって思えてしまう。
忙しい状態、つまり、誰かに必要とされる存在になりたい。
そんな気持ちで始めた活動を広げていくと、想定外にいろんな人に喜んでいただけるようになり、新しい活動が増えていく。
すると、「誰かに必要とされたい」ことを願って始めた最初の活動ができなくなってくる。これは正しいことなのか、成長なのか。
さて、「忙しくて時間がない」ってなんだ! 果たして、「時間がない」とはどういうことなのか。 このテーマで午前中はディスカッションを行った。
人知れず「ど真ん中組織コンサル」として活動始めています。 その活動の一環だ。
時間がないとは、どういうことか
考えることができる原因は2つ 1,空いたスケジュールを埋めすぎ問題 2,コストと時間の不釣り合い問題
この2つの問題をもう少し深く考えてみよう。
根本的な問い。
「時間がない」という言葉は真実か?
この言葉は、ファクトからきた言葉なのか、感情からきた言葉なのか。
ほとんどの場合、ファクトから来たと信じている。
現実に時間がないのだと。
まず、それを疑う。
ひとつめの原因だ。
1,スケジュールを埋めすぎ問題
時間を埋めるとはどういうことか。 時間は埋めようが、埋めまいが、一定のスピードで、誰もが同じ時間を過ごしているだけのはずだ。 にもかかわらず「埋める」という言葉が存在するのはなぜか。
何を埋めるというのか。
ただ呼吸しているだけでも、時間は過ぎ去り、埋まりつづけるにも関わらず。
つまり、ど真ん中エディットワークでいう、「3つの実践」のために費やす時間は、おそらく「埋める」という感覚にならないはずだ。 自分が置かれている情況であれば、やるべきだからやることだからだ。
「時間を埋める」という言葉は、3つの実践の外のことに時間を利用する行為なのではないか。 その時間が「埋める」という言葉を生み出し、「時間がない」という言葉を生み出しているのではないか。
次の原因
2,コストと時間の不釣り合い問題
「時間がない」と感じる感情は、なぜ生まれるのか。 その裏にある真実の感情とは何か。
ひとつの仕事を完成させるための時間と、対価としての利益に、差がある状態なのではないか。
「これだけの時間を費やしているにも関わらず、これだけの利益にしかならないのか…」
この不満、または不安が、「時間がない」という言葉を生み出しているのではないか。
たとえば、時間と対価が正常に釣り合っている状態であれば、「時間がない」という言葉は発生しないのではないか。
もうひとつは、お客様との関係性だ。
お客様は、単に納期と価格を守るという契約上の存在。 それ以上ではない関係なのではないか。
顔の見えないお客様、心が通じあえてないお客様との約束のための仕事。 そうなると、「時間がない」という感情が生まれるのではないか。
もし、顔の見えない相手でなく、ど真ん中を生きる仲間との仕事や約束だとどうだろうか。
ネガティブな感情としての「時間がない」という言葉は生まれないのではないか。
もう一歩議論を進めよう。
コストの問題、お客様との関係の問題が明確になったとする。 では、それを改善すべきかどうか。
ここも立ち止まって考える必要がある。
つまり
「仕事の本当の意味は何か」
「志は何か」
「大志は何か」
この自分の物語と改善策は、ちゃんと繋がっているか。 改善策は、課題を解決してくれる可能性は高いとしても、その行為は、自分の物語にマッチしているのか、矛盾していないか。
ここを今一度吟味する必要があるはずだ。
常に、自分の主人は自分である。
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