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本当は考えるべき疑問

実践型読書会

「答えようとするな、むしろ問え」

自分としての「冒険の書」を歩む


孫泰蔵氏の著書「冒険の書」を活用します。

もし自分であればどんな問いを立て、冒険に踏み出すだろうか。

大切な問いがあったはずなのに、見失ったことは。


真の発見の旅とは、

新しい景色を探すことではない。

新しい目で見ることなのだ。


The real voyage of discovery consist not in seeking new landscapes, but in having new eyes. (本書2ページより)

自ら発見した「問い」からはじまり、他者との対話、自分との対話、本との対話、AIとの対話を通じて、「答え」ではなく、「新しい目」「新たな問い」を見つけていきましょう。


6回コースの最終回の様子。

みんなから感想をいただきました。



読書会の最後ということで、参加者からいろんな感想をいただきました。

最後に僕の中での気づきを紹介させてもらっています。



人は何のために学ぶのか?

という問いについてだ。


前回の読書会後の感想では、


自分の命があるないに関わらず、この世の中をどんな世の中にしたいのか考えること。

つまり、私利私欲も、自分の命も関係なく思う願い、いわゆる、大志を抱くことは、他の生き物にはない人間にのみ与えられた大切な力だと思っている。


その人間のみに与えられた力を内に秘めながら生きる。

その大志に向かって生きる姿を次世代に見せ続けることこそ「教育」なのではないか。


そして、大志を本物にしていく、実現していくためにこそ、学びがあるように思う。


と書いた。

ここからさらに、思考を深めるとすると。


学びとは、自分の夢、志、大志といった欲求を実現しようと本気で考えたときに、「学びたくて仕方なくなる」ことなのではないか。

他人から、「いい加減にしなさい」「もうそれくらいにしたら」と言われても、止めたくない、学びたくて仕方がない。

本来、学びとはそういうものになるのではないか。



そう考えていくと最初の問いが、少し違和感を覚え始める。


「人は何のために学ぶのか」


この問いが存在するということは、「学び」ということが、面白くないこと、楽しくないこと、仕方なくしないといけないこと、といったニュアンスが含まれているはずだ。


だからこそ、そんな面白くもなく面倒なことをしないといけないのはなぜだろうという問いとなり、「人は何のために学ぶのか」という問いが成立する。


でも、本当の学びとは、その真逆なのではないか。


つまり。

この問いが存在すること自体が間違いなのではないか。


「人は何のために学ぶのか」という問いが、不要な社会にするにはどうすべきか。

これが適切な問いのように感じた。


詳しくは動画をご覧ください。

参加いただいた皆様、素敵な時間を共有できました。ありがとうございました。

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