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母について2

前回の続き。


母についてだ。


幼少のころから今に至るまで、母の生け花が好きになれなかった。

理由は「植物の命が可哀そう、痛々しい」と思う感情だ。


花がいろんな形に変形させられる姿が、どうしても受け入れることができなかったのだ。

 

では、なぜそう思うようになったのか?

それを遡っていって気づいたのが「嫉妬」の感情である。


つまり、母の生け花に対する情熱への嫉妬。

それが歪んだ形で「植物が可哀そう」という感情を生んだのではないか。

 

ここまで至ることができた。

昨夜だ。


つまり、本当は自分は生け花が嫌いじゃないのではないか、という想いを抱きながら実家に夕ご飯を食べに戻る。


すると、、、なんということでしょう。

食卓の上に2つの生け花が置かれているではないでしょうか!


母曰く

「生け花に没頭しすぎてご飯の用意できなかった」と。


ひとつの生け花は紫陽花。

今朝、会社の玄関先で摘んだ紫陽花だ。

自然に咲いている角度を維持させたような姿で生けてある。


「この角度では、本当は立たないのよ」

母は自慢げだ。


もうひとつが、珊瑚樹の枝の生け花だ。

枝にはびっしり苔が生えている。


「苔がすばらしいでしょ」と。


「近所歩いていたら、庭師が近所の家の庭を手入れしていたの」

「どんどん枝を落とすもんだから、これ捨てるんだったらちょうだい?って聞いたの」

「そしたら、どうぞって」

庭師に木の名前を聞いたら、珊瑚樹だということだったらしい。


ああ!母の庭師と交渉している姿が目に浮かぶ。


子どものころ、こんな母の姿も少し嫌だったのだ。

人と違うというか、ここで他人に声かけてそんなこと言う??みたいなことが、かなりの場面であるのだ。

子ども心に、非常識なのではないか、恥ずかしいという想いと、ほんの少しの憧れがあった。

自分には絶対できない行動だし、よくそんな発言できるなと。

もう今は慣れているが。



さて。

ここからが二つ目の気づきなのだが。


このエピソードと気づきを今朝妻に話たのだ。


・花が可哀そうという感情は、本当は嫉妬から来ていたこと。

・家に帰ると、まさに生け花が目の前にあったこと。

・その一つの珊瑚樹を手に入れたエピソード。

・そのエピソードのような母の言動が苦手だったこと。

 


すると、妻からとんでもない返事が返ってきた。


「もしあなたが気づいていないのなら言うわ」と。


「あなたも母のエピソードと同じことをいつもやっているよ」

と。


えええええええ!!!!

た、、、、確かにそうかも!!

そして子どもたちから

「お父さん恥ずかしいからやめて」

って、今まで何度も注意されることがあるけど、このことか!と。


血と育ちの影響、まじ大きいな。


まったく同じことしてたのか…。


妻はさらに続ける。

「お母さんのそんな姿に、私はすごく勇気と影響を受けた」

「自分の感性を表現していいんだという自由を教えて貰えた」

と。

 

正直、全部驚きの気づきだった。



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