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異文化理解

執筆者の写真: yamashina shigeruyamashina shigeru

富山情報ビジネス専門学校の高度情報ビジネス学科の授業を依頼された。

テーマは「異文化理解」


男と女、日本人と外国人、LGBT、見た目では分かりずらい障害…。

社会の中で異文化理解の重要性は増している。


この異文化理解のすべての問題はどこから来ているのか?

そのほとんどは、その人それぞれが背負っている背景、文脈の違いなのではないか。

文脈=コンテクスト。


目に見えるもの、言語、開示知を中心としたコンテクストの会話なのか。

ビジュアル、雰囲気、暗黙知を中心としたコンテクストの会話なのか。

つまり、ハイコンテクストとローコンテクストの違いだ。



考えるまでもなく、ローコンテクストの人間とハイコンテクストの人間が会話すると、勘違いやトラブルが起きることは間違いない。


プログラマーの仕事というのは、

ハイコンテクストの情報をローコンテクストの情報に変換し、万人に分かりやすく情報を提供していくことだろう。

 

逆にクリエイターの仕事というのは、

ローコンテクストの情報を、ハイコンテクストの情報に変換し、エッジを利かせ、ターゲットにメッセージしていくことだろう。


グローバルな世界では、ハイコンテクストからローコンテクストへ変換できる力が必要とされる。英語もそうだ。社会全体としてニーズはこちら側だ。

ただ、局所ではローコンテクストをハイコンテクストに変換するという力も必要だ。デザイン、芸術の世界。


必要どころか、経営判断として、本来はローコンテクストの情報をベースに経営すべきところ、ハイコンテクストの情報をベースに経営することも重要視される。

つまり、多様で予測が難しい時代だからこそ、どちらの変換力も必要な時代なのだ。




この変換力こそ、異文化理解力である。


異文化理解力を深めて身につけていく為には何が必要か。

たとえば、思いやりの心、実践力、知識、経験…。


この力は、これからの30年を生き抜くために、とても重要な力になるのは間違いない。

だからこそ、人間力の重要性がよく問われているのだろう。


それと同時に、必要となるのは、ど真ん中を生きる力だ。

そのことを忘れてはならない。


つまり、自分こそ、誰の真似でもなく、自分を生きる、自分のど真ん中を生きるという生き様ができるからこそ、自分と同様に人と違う生き方をしている人の生き様、悩み、幸せに共感でき、受け入れることができる。


異文化の理解を深め、かつ、ど真ん中を生きる。

そんな生き方が求められるのではないか。


いや、求められるというより、そういった人生を歩むことが、素直に楽しい人生を謳歌できると思う。



今回学生へのプレゼントとして、ヒトカケルデザインの安井さんに書を書いていただいた。


君子は周して比せず 小人は比して周せず




君子は誰とでも広く公平に付き合い、偏った付き合い方はしない。

小人は一部の仲間とばかり仲良くして、多くの人と付き合うことはできません。


派閥を好む生き方はするなということだ。

だからといって八方美人になれと言っているわけではない。

ここが重要だ。




君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず


君子は人と仲良くすることができますが、人の意見にいい加減に賛成するわけではありません。

小人は自分の考えを持たず、すぐ周りの意見に賛成するが、本当に仲良くはならない。


(この章句は、ぼくが書いてみました。)


この2つの章句が、まさに異文化理解とど真ん中を生きるという2つの価値を表現しているように思います。


では、どう歩むべきか。

はじまりは「ありがとう」からではないだろうか。

ありがとうの言葉は、人と人をつなぐ言葉だ。

わたしがいて、あなたがいて、その間に生まれる言葉が「ありがとう」だ。

 

異文化を理解し、認め合う。その上で自分の道を歩む。

そのとき、「ありがとう」という言葉は、単純でありながら、とても重要な言葉になる。


北陸三県ありがとう集め。

この活動も負担なく、ゆっくりと進めていきたい。







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