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執筆者の写真yamashina shigeru

笑って死ぬ



人づくり・学び舎で開催したど真ん中名刺ワークショップに参加いただいた方と、打合せでした。

今日は、小正月ということで、小豆粥をもってきていただき、後でスタッフみんなでいただきました。

 

さて。

今回のテーマは、笑って死ぬ。

 

これは、座右の問いでもあるそうです。

「笑って死ねるか?」

これが、日々自分への問いかけだそうです。

 

この言葉を名刺にのせることは決まっている。

では、自分にとっての役割とは何なのか?


「●●の仕事、●●の役割に真剣に向き合った。

だからこそ、笑って最期を迎える大切さを伝えていく。」


この●●にどんな言葉が当てはまるのか?

または当てはまらないのか?

あえて当てはめることは考えないのか?


次回の打合せまでのテーマはそこになります。

 

さて、話はまったく変わりますが。

今回ワークショップを主催していただいた人づくり・学び舎代表の浦井さんと少しだけお話をした。

 

そのときに

「町づくりにすごく多く関わることが増えてきてる。」

「ただ町づくりという言葉を使うのは、何か違う気がする」

「いい言葉はないだろうか?」と。



ふと思い返すと、以前一度、町づくりをテーマとした講演の依頼を頂いたことがある。

そのときの内容を少しだけ振り返りたい。

この内容はひょっとすると単なる理想論なのかもしれないし、現実とはかけ離れた内容なのかもしれない。

それでも、もしそうなるのならステキだなって思ってる。


まず、地方にとって町づくりとは何かを考えるとき、一番の課題は人口減少なのではないか?


将来どう生きるか?

子どもの意志を尊重することがベストである、何をしようと自由である。

そのスタンスは一切変わらない。

ただ、もし、親の仕事に興味を持ってくれるのであれば、全力で応援するし、生まれ育った地域で精いっぱい生きてほしい。地方で商売するということは経済的に大変になるかもしれないが、それでも、そういう生き方を選んでくれるのであれば、本音としてうれしい。

という内容を子どもの幸せを願うからこそ、本気で地方で暮らすことを応援できるかどうか。

 

その一点にかかっているのではないか。


では、親がそういう気持ちになるためにはどういう町であるべきか。

子も、生まれ育った町を自然と愛することができるためにはどういう町であるべきか。

 

ここに修身での学びが活かされる。

修身には「四十にして仕う」という言葉が紹介されいてる。これは中国の古典礼記の言葉だ。


人、生まれて十年を幼と曰い、学ぶ。 二十を弱と曰い、冠す。 三十を壮と曰い、室有り。 四十を強と曰い、而して仕う。 五十を艾と曰い、官政に服す。 六十を耆と曰い、指使す。 七十を老と曰い、而して伝う。 八十・九十を耄と曰う。

つまり、40歳からが本物の仕事ができる。それまでは、修行の時代だと思い精進せという内容だ。

この感覚は、実際40歳という年齢に達し、超えたときに、しみじみと実際に感じた。

理由のひとつは生物的機能の問題があるのだろう。生物として身体的頂点を下り始める40歳という年齢に達することで、ひとつ今までと違う景色が見える。

もうひとつは人格形成(?)として40歳までかかるってことかもしれない。

 

逆算しよう。

人は、血・育ち・教えという3つの要素からできあがっていると言われている。

これはどちらかというと人間のアク、クセというプラスよりもマイナスに作用するパターンが多い。

自分を生きるには、まず自分の血・育ち・教えに向き合い、自分は何者かを自覚し、それを超えていく先にあるように思う。

 

10代で、志を抱く。

20代で、血・育ち・教えに向き合う時間をつくりながら、志に向かって社会の中で歩み始める。

20~40代で、血・育ち・教えの中にある自分のアクを理解し、超えていく。20年間で積み上げたものを同じ20年という時間を使って整理していく時間と考えてもいい。

40代で、本物の仕事ができ始める。自分を生きる。

40~60代で、世のため人のために仕事に徹する。

60~100代で、自分の人生を生きながら、次世代に向けての教育への投資を続ける。

 

たぶん、こんな感じだろうか。

これを町づくりの視点で考えると、


10代で、志を抱くことのできるキャリア教育の環境を地域で整備する。

20~40代の青年たちのために、地域全体で多くの失敗を受け入れ、チャレンジの種をつぶさない風土と、チャレンジしやすい環境を整備する。主体的に生きる教育。

40代~60代までに、自分が志したことを実現するために本気で仕事に向き合えるよう、町全体でサポートする環境の整備。協調性を学ぶ教育。

60代以上の人間が、次世代の子ども達の志を育成するために全力で関われる世代交流の場を整備する。リーダーシップ教育。


どうだろう。このような世代間の役割が暗黙知として明確になっており、うまく歯車がまわっている地域だとしたら…。

自分の地域を愛し、「自然」と地域が活性化するサイクルになっていくのではないか。

決して地域に留まることが大切ということでもない。生き方は一切自由である。

ただ、そういう常に学びあうチャンスが整っている風土があるということは、すばらしいはずだ。


今自分たちの地域で、人と組織ではなく、人と町のサイクルを「人間の一生とはどうあるべきか」といった歴史や古典をベースにデザインし、現状その理想のサイクルでストップがかかっている要因はどこにあるのかを見つけ出し、それを改善させるために投資していくことが、町づくりというものだろう。


つまり、町づくりを言い替えるとするならば、「町づくりこそ、町全体を人づくり・学び舎にする」ということなのではないか。

 

そして、10代で志を抱き、40歳まで何度でもチャレンジできる環境があり、40代から本気で仕事に向き合えることができ、いくつになっても次世代と学べる場がある。


そんな環境で中で、日々の学びは、必ず次の世代につながっているという確信が持てるコミュニティの一員であるならは、笑って死ねるのではないか?



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