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執筆者の写真yamashina shigeru

肩書は自由

更新日:2020年1月7日

新年最初のど真ん中名刺が完成した。

10か月ほど前にど真ん中名刺ワークショップに参加いただいた女性の方。


この10か月の間にも、いろんな出逢いと葛藤があったようだ。

今回は、名刺に添える言葉も、名刺に利用したい画像も揃っていた。

あとは名前の上にどんな肩書を添えるか。

しっくりとする言葉を探した。

 

話は飛躍するが、今回名刺を作る中で「祈り」の話になった。

実は昨年ど真ん中名刺ワークショップで

「千年先に何を残したいですか?」

そんな質問に対して

「祈る心」

と答えていただいた方がいます。

 

最初は、あまりにも唐突な答えに驚いたことを思い出す。

そして、その言葉は、じわじわとぼくの中にしみこんでいった。


今回、ど真ん中名刺の打合せをする時間まで、とある動画を見ていた。

そこでこんなことが語られていた。


「リーダーシップとは、最終的には祈ることだと」

「松下幸之助さんがそのような言葉の残されている」


(社員が)一万人、二万人になれば、“そうしてください、こうしてください”ではすまされないと思います。“どうぞ頼みます、願います”という心持ち、心根に立つ。そしてさらに大を成して五万人、十万人となると、これはもう“手を合わせて拝む”という心根がなければ、とても部下を生かしつつ、よりよく働いてもらうことはできないと思うのです

祈る心。

これはどう解釈すればいいのだろうか。


リーダーシップとは祈ることだ。

その言葉をゆっくりと解釈していくと、否定する言葉はどうしても現れない。

では、なぜそうかという理由も、今のぼくにはまだ語れない。たどり着けない。

ただ、これはとても大切なことなのかもしれないと感じる。




七十にして心の欲する所に従ってのりをこえず


有名は論語の章句だ。

自分の心の赴くままに行動しても、人に道を外れることはない、という意。

では人の道とは何か?


ひとつは、自分がしてほしくないことを相手にはしないことだろう。


これも論語の中で語られている。

己の欲せざる所は、人に施すことなかれ 、と。


この単純な約束も、僅か1日守るだけでもとても大変だ。



たとえば「自分を生きる」ということ。

この言葉の意味するところには、「心の欲する所に従ってのりをこえず」というニュアンスが含まれているように思う。

何か人様に迷惑をかけようが関係ない、自分を生きるんだ、ということではなく。

ひたすら自分という存在を生きる、けれどもそれは決して人の道から外れるわけではない。もしかすると多少人様に迷惑をかけることになるかもしれない。それでも、自分を生きるということこそ、自分のためだけに限らず、世の中がよくなることに通じるはずだ、という気持ちがあるのではないだろうか。

 

それは、そこに志があるからだろう。


自分を生きるには、自分が自分のことを信じきれるかどうか。

そして心のままに生きることができるかどうか。


そんな生き方を目指す人にとって、まはた、そのように生きることができる人は、たぶん誰かを否定・批判したり、誰かと比較したりということもなくなっていくのではないだろうか。


そのとき、自分とご縁があるすべての人への態度は?


相手のことも信じてあげるという態度になるだろう。

そして、相手もまた自分を生きるという生き方を願うのではないだろうか。

 

その願いは、結局、祈りにつながる。



自分を生きるということと、祈るということ。

これは実は表裏一体なのではないか。


自分を生きるということ。

相手を信じるということ。

相手の気持ちに耳を澄ますということ。

祈るということ。



今回完成したど真ん中名刺の肩書のところに添えた言葉。

それこそ「自分を生きる」となった。


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