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執筆者の写真yamashina shigeru

自分を自分として生きる



うえるさんとは、もう10年近くのお付き合いになる。

プロボノカフェだ。

職能×社会貢献=プロボノ。

この活動を富山に広めようと始めた活動で、現在休止中。

ど真ん中名刺のきっかけにもなっている大切な活動。


プロボノだけでは、何かが足りない。

その足りない部分こそ、自分のワクワクでした。

いかにすばらしいプロボノ活動でも、それを行う人がワクワクしていなければ意味がないのではないか?

続かないのではないか?


それで、

職能×社会貢献×ワクワクという考えが生まれた。


以下、うえるさんの記事。



私の本名は、石黒亨です。

今、ほとんどの方々に呼ばれているのは、「うえるさん」です。

 

石黒亨が、なぜ「うえる」になったのか。

 

生まれた所が石黒家、3人兄弟の末っ子で生まれました。

長男とは5歳、次男とは3歳違いです。

父は、いわゆるマイペースで活動的、思いや想いが強く、即アクションというタイプです。

 

私が3歳の時、それまでも職種をイロイロと始めてはそれなりにカタチにしてきた父が地元に戻って始めたのが、ビジネス旅館。

なかなかに破天荒でやり手の父は、旅館を建てるのに、小学校の建て替えの廃材を回収してきて再利用するなど、サバイバル意識やワイルドさも持っていました。

 

兄二人はもう小学生…、猫の手よりも全然使えるのでお手伝い。

私は3歳なので足手纏いにしかならない。

建てる時から、さらには旅館が始まっても、邪魔にしかならないので祖父母の家にほぼほぼ預けられていた様な状態…。

 

それだけでも3歳の自分には、かなりな負荷なのに…。

 

ダメ押しとして、旅館の土地の事で連日連夜の父と祖父の喧嘩。売り言葉に買い言葉で繰り広げられる…。


「子供の前でなんて態度だ!」

「そんなもん!要らん!邪魔!」

 

そんなにキツくはなかったのかもだけど…、3歳の自分が受け止めた印象はそんな感じでした。

子供心に想い思ったのは、

「自分は要らない子」 「邪魔な存在」 「迷惑にしかならない…」

 

自分自身に連日連夜、刻み込み続けました。

 

そんな状態で3歳児が一生懸命に出来る事は…、顔色を伺い、状況を把握し、ニーズを読みとり、期待に応え、自我を出さず、静かにしている事。

そんな日々が日常化し、いつしかそんな生き方が当たり前になり、いわゆる「普通」な状態になりました。

 

そのまま成長し、中学3年生に進路相談の季節がやって来ました。

 

ニーズに応える事や自我を失くす事が当たり前な私は、進路そのものを決められるはずもなく…。

さすがにしびれを切らした担任が、苦肉の策として提示してくれたのは推薦入試に行かせる事でした。

 

方法としては、推薦に提出する内申書に書く「どんな生徒」という項目を教えてもらい、その通りに演じて来るという指令。

おかげ様で見事に受かり高校へ…。

 

それから3年、再び進路相談の時期がやって来ました。

再びの成りきり推薦入試…。

おかげ様で短大へと進学。2年後にたまたま目に付いた園芸店の募集で就職を決めました。

 

今にして思えば、なんといい加減で自堕落でなげやりな生き方だと思います。

が、たまたま就職した園芸店での植物達との出逢いによって、イロイロな感覚や感性が呼び覚まされました。

最初は単なる「商品」として扱っていました。

それが、植物達と触れ合う内に、とても当たり前だったのに気づいていなかった事に気付きました。

 

彼ら彼女らは、「生きている」という事。

ものすごく当たり前だった事。

そして、それぞれに「個性」があるという事。

これも、とても当たり前だった事。

植える育てるというのは、その植物と向き合いコミュニケーションを取るという事。

言葉を話せなくても、「非言語コミュニケーション」をしているという事。

命を預かり、環境を整え、成長出来る様にその時に出来るサポートを精一杯にするという事。

その状況、状態によって、その後に影響がカタチとなって現れるという事。

様々な事を植物や自然から学びました。

 

実家が自営な事もあり、そのまま勤めている事をせず、25歳の時に独立しました。

お花屋さん「花工房 植える花夢」。

切り花から根のある植物まで、ブーケや花束、装飾、お庭まで、その時には珍しい副業としてジェラートアイスクリームのイートイン販売もしていました。

 

それから数年後…、ガーデニングブームになり、お店よりもお庭施工がメインになり、常連さんからの指摘もあり、無店舗になりました。

 

その際に、名称も変更しました。

植物を彩る人という事で、「植彩屋うえる」。

ここに「うえる」が誕生です。

 

お庭創りとお花の生け込み、口コミでのブーケや装飾…、そんな年月を過ごして、やがて、40歳の誕生日。

「2回目の成人式」が来たな!と何気に思い、ふと感じたのが「もう自分として生きていいよ」という感覚。

妙に納得し、そっか、じゃあ生きよう。

「許し」や「赦し」の様に感じました。


が…思わず…、「で!?どうするの?」……。

今までも、「自分らしく」生きて来ていたと思っていたので、感じたのはいいのですが、頭の中は「???」な状態でした。

 

そこでまずは、「自分」というキーワードと、「生きる」というキーワードを調べる為、本屋へと行ってみました。


いつもは行かないコーナーにも行ってみると、心理学というコーナーがあり、その横には自己啓発とスピリチュアルというコーナーが…。

何冊かの中身を流し見て、難しそうなのではなく、簡単そうで、俗っぽいモノを何冊かチョイスして購入し、読んでみました。


「なるほどね。」とは感じてはみたものの…、そこは俗っぽい本です。

実に薄味で曖昧で調子のいい感じが満載。「これだ!」というのにはなりませんでした。

かといって、自分事の事や心理事って、「学問」では無い様に感じ、やはり、実践的な情報を得たくて、本に記載されていたセミナー情報から申し込み、三大都市にて開催されているいくつかのセミナーに参加しました。

 

目的は、講師の話はもちろんですが、全国から参加している方々の観察とリサーチをする為。

「自分らしく」というキーワードにヒットする、そんなヒト達は、どんなヒト達で、どんな思いや想いで、参加しているのかを探りたかったからです。

 

そこで得られた事と、自分自身の事を照らし合わせて見えてきたのは、「自分自身」を生きられていない人がとても多い事。

「自分探し」をしているヒトが多い事。

「自分磨き」をする為にといろいろなセミナーに参加して、「自分らしく」生きたいと思っているヒトが多い事。

それらが感じ観えて来ました。

 

「もしかすると、、自分でも気づけずに、自分の人生を生きられていないヒトが居るかもしれない。」


自らの体験と、自然や植物達から教えてもらった、「非言語コミュニケーション」を使って、そこまでの流れで創り出した、「植彩セラピー」と「フラワーコラージュ」を使って、

「自分らしく」ではなく、「自分として」の自分に気づく。


そのサポートやきっかけ、気付きになる様にと、個人セッションや体験セミナー、またメンタルセミナー等も開催しながら活動をしています。


それから11年、

「自分を自分として生きる」

「もったいない生き方を無くす」

「生き方よりも生きざまを魅せる」


そんなヒトビトを増やすべく、「ココロゴト」「ヒトゴト」「ジブンゴト」を掲げて、さらに大きなムーブメントを起こしています!

 

あなたも「自分らしく」ではなく、「自分として」生きてみませんか?


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