top of page
執筆者の写真yamashina shigeru

行動と存在

富山から大阪への車で移動中に、コテンラジオの三大宗教の歴史の回を聴いた。

そこで気づいた点を自分のメモとして記したい。

ここで記す数字や視点は、無責任に感じたまま書いています。必要とあれば調べてください。

世界の三大宗教の人口(2008年) ①キリスト教(一神教) 22.5億人 ②イスラム教(一神教) 14.3億人 ③仏教(多神教) 3.8億人


今後、人口変動によりイスラム教徒の人数が、キリスト教徒の人数を上回ると予想されている。

上記の数字からすると、一神教であるキリスト教とイスラム教を足すと、大体37億人ということになる。

今の世界人口は約80億人だとすると、世界の二人に一人が一神教の宗教を信じ、生きる価値観の根っこになっているということだ。

もしも、世界というのは、その瞬間にいる人々の頭の中で思い描く世界観が生み出した産物の総和だとするならば、この世界を作り上げている空気は、一神教を中心とした空気なのかもしれない。


面白いのは、そもそも物語る種族である人類が最初に生み出した宗教や神話の世界は、多神教の世界観がメインだったということ。

ヨーロッパ神話しかり、日本の神話しかり、神様はたくさん現れる。 本来は、一神教はマイノリティな宗教だったのだ。


それが、教義の内容と人類の環境の変化がマッチしたせいなのか、布教活動が成功したのか、システムが素晴らしかったのか、現代では世界の約半分の人間が一神教の世界を信じている。

人、物、動画、現象…、あらゆるものを「神回」という言葉で褒めたたえる八百万の神々が根付く日本にいると、世界の常識が理解しにくかったり、日本が資本主義を正しく機能させられないのは、この宗教観に大きな違いがあるのかもしれない。



一神教と多神教のどちらが正しいという議論がしたいわけでもない。 一神教から生まれた思考や思想が、人権の概念を生み出し、産業革命、科学革命、資本主義と、どんどん人間の世界を発展させ、豊かにしていったのも確かだろう。


だからといって、それでよかったっけ?ってなり始めているのが今だとしたら。 肌感覚からしか語ることはできないが、言語化できない漠然とある違和感の根っこの部分には、この世界を覆う宗教観の違いがあるのかもしれない。 経済という視点で、未来への不安が露出することで考える人が増えているだけの話で、もっと奥深いところにある違和感がそこにあるのではないか。


先日、不意に歎異抄の勉強会に参加した。

そのときに仏教の真理なるものを教えてもらった。


諸行無常…全ての物事は常なるものはない(変化する)

諸法無我…全ての存在には我(独立したもの)はない。関係性で成り立っている。

一切皆苦…人生は思い通りにならない。


全ては変化しつづけるし、中心があるわけでもなく関係性があるだけであって、人生は思い通りにならないことが真理なんだと。

 

絶望的な真理のようにも聞こえるが、否定はできないし理にかなっている。

清く、心に浸透してくる真理だ。

人生とはそういったものだろう。

 

ところが半面、ぼくらが知っている学校や社会の中で言われているのは、

「想いは実現する」

「人生の主人公は自分である」

 

この社会の中にある真理と、多神教の世界観の中にある真理とのズレを感じる。

二つの真理がぶつかりあい、なんかわからんけど、それはそれで許容している日本というオリジナリティを感じる。


それはそうと、もっと深いところでは、2つの真理は、矛盾はないのかもしれないが、ぼくはまだそこに至れていない。

ここの矛盾を矛盾なく、違和感なく語れる言葉を手に入れたい。

 

 

あとコテンラジオで語られていた「行動」と「存在」の話もすごく興味深かった。

人類の歴史上、世界に大きな影響力を与えた人は誰か?

そう問われると、イエスやブッタが、圧倒的な影響力の持ち主だということになる。孔子もそうだろう。日本では吉田松陰か。


ただ、イエスもブッタも孔子も吉田松陰も、実は生前、あまり行動していないのだ。


移動距離と言えば、メインは徒歩であり半径100km程度。

出会った人、話した人は、せいぜい数千人ぐらいか。

ちょっと歩いて人と会って語り合ったぐらいの人生である。

何か大きなことを成しえたような行動は何もしていない。

 

そんな人間が、人類史上壮絶な影響力を後世に残すことになる。

 

これはなんとも興味深い事実だ。

どれだけ行動するか、どれだけ経験や実績を積むか。

それが人生の価値のように言われているが、歴史を紐解くと、そうでもなかったりする。

 

もちろん、過去と今を比較するものではないと思う。

コミュニケーション革命、インターネット革命により、世界はまるっきり違うようになった。

ただ、どれほど移動距離や一生に出逢える人の数が莫大に増えようとも、ここも、大切な真実があるように思う。


コテンラジオでは、「行動」と「存在」という言葉で語られていた。

大事なのは如何に「行動」したかではなく、どんな「存在」として社会に認知されたか。


ただ、存在することの価値。


それが、バタフライ効果のように、波紋を広げていく。


パーパス経営が注目される理由もここにあるのかもしれない。

 

ど真ん中を生きる。

 


閲覧数:74回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page