年寒くして松柏の凋むに後るるを知る
寒い季節になって、ようやく冬の季節でも青々としている葉がある木に気づくという意味であり、人間も同様に、平時は特に違いは分からないが、難局にあって初めてその人の真価が問われるという意味だ。
さすがに、もう新型コロナに関しての記事にも鈍感になりつつある感覚がある。
こんな時期に、
立命館アジア太平洋大学 学長 出口治明氏 x デロイトトーマツベンチャーサポート斎藤 祐馬氏の対談youtube動画をみた。新型コロナに関しての見解を紹介している。
出口さんの思考は、歴史を振り返りながら、論理的に話されており、いつもながら頭の中をクリアに整理してくれる。
これまでも新型コロナのおかげ(?)で、個人的には多くの学びを得ることができた。
①ピア経済の台頭
誰と時間を過ごすのか、その価値の大切さ。
②免疫力を高める生き方
思っていること、伝えてること、行動していることを一致させる。
③生命力を磨く
生命力とは使命があるということだ。使命に気づき、使命を生きる。
④志の大切
いつ死ぬ分からないからこそ、どんな生き様を見せるか。
ウイルスを否定するのではなく、ウイルスと共に生きることを考えた時に、とても大切な内容だ。
まさに、ど真ん中名刺ワークショップでは、この内容を考えることになる。
新型コロナのおかげで、今一度振り返るきっかけを与えてくれた。
それに加えて、今回の動画でさらにもうひとつ大切なことに気づくことができた。
それは覚悟の深さだ。
人は決して強い生き物ではない。
だからこそ、常に学び続けなけれなならないのだろう。
覚悟の深さに関しても、常にその意識があるのかどうか。
それは、日常の過ごし方が大切になってくる。
まず、出口さんの話の内容を少しだけ紹介する。
ウイルスの流行は、自然現象であり、人間はコントロールできないということをまず謙虚に受け止めること。
ウイルスは、人と人との接触が感染を広げる。
これが理解できているのであれば、対策の一つ目は「ステイホーム」でしかない。
これ以上の効果的な対策はないということ。
次に論理的に考えればわかることだが、ステイホームは誰かの犠牲でしか成り立たないということだ。
ステイホームが成立するためには、必ずそのために働いてくれている人がいる。
たとえば、医療従事者、食、流通、農家といった方たちだ。
このエッセンシャルワーカーと呼ばれる方たちは、ある意味みんなのための犠牲になってくれているわけだ。
そのことを社会全体で理解を深める。
エッセンシャルワーカーへの支援、ケアをどうするのか。
これが2つめの対策だ。
エッセンシャルワーカーへの差別は決してはあってはならない。
そして、ステイホームということは、収入が減るということを意味する。
その中で、社会的弱者に対してお金の再配分政策をどう設計できるか。
これが3番目の対策になる。
1番目2番目が基本であり、次に3番目となる。
人間は生き残ればなんでも解決できる。
それだけの考える頭をもっているのが人間だ。
生き残ることを考える。
難しい話はどこにもない。
論理的に考えると確かにそうだ。
でもどうだろうか。
本当にこの内容をどこまで深く真剣に理解しているだろうか。
理解しているつもりになっているだけとか。
不満や批判するべきじゃないことへ、意識がいっていないか。
論理的な思考だからこそ、覚悟の深さが問われるのではないか。
実は同様なことを平時でも問われていたのではないか。
人生の3つの真理だ。
人は必ず死ぬ。
人生二度なし。
人はいつ死ぬか分からない。
「そんなことはわかっている。当たり前じゃないか。」
そう言われる内容だ。
しかし、その覚悟の深さが問われていたはずだ。
二度とない人生だということを。
あまりにも多くの情報に触れる機会がある。
大切なのは情報量に惑わされることではなく、ロジカルに情報の根っこを考える。
その結論に対して、覚悟を以って受け入れる。
受け入れたからといって、その結論通りに生きる必要もない。
その上で、オリジナルの生き方をすればいいはずだ。
ど真ん中を生きればいい。
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