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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

誰もがど真ん中を生きる道をいつからでも選択できる社会

ど真ん中エディットワークの内容に修正を加えた。

もう少し正確にいうと、自分自身の「答え」をもう一歩深く考えたことで、それがワークの内容を修正することにつながった。


これは、行動科学研究所のエンパワーメントベーシックコースを受けたおかげ。

深い学びの中で得た気づきを反映することができた。

そして、その感動をみんなに伝えていきたいと思った。




自分の答えがどう変わったのか。


・個と組織のあり方の矛盾

・偽りの夢で翻弄される状態からの脱却

これは、今の自分のなすべき仕事に向き合うことで出逢った社会課題だ。

個と組織の狭間だったり、自分が夢だと思っていたことが誰かの夢だったことに気づいたりして、名刺が作れなくなる。

この課題をクリアにすることは非常に難しいことだと思うし、むしろ、それが悪いわけではないと思う。

だけど、一度自己対話を試みることは大事だと思う。


ぼくの喜びは、本気の想いを聴くことができた時、本音に出逢った時だ。

これも理解していたつもりだが、言語化していなかったことに気づいた。


ど真ん中にあるもの。

それは、「個々がど真ん中を生きることを許容するコミュニティの探究と実験」という言葉がみえてきた。


「ど真ん中を生きる」ということをリアルに社会の中で実践しようとした時、当たり前なんだけど、家族の関係を見つめ直す、仕事関係を見つめ直す、社会との関係を見つめ直すことになる。

そのときに、自分が所属するコミュニティの中で、自分だけでなく、みんながど真ん中を生きることを許容するコミュニティの存在が、いかに希少か。

短期的に実現できているチームや組織はあるが、継続的に社会に実装していくには、まだまだ未完成なように思う。

それを探究し実験していきたい。

それが、今現在の自分のど真ん中にある想いだ。

 

このど真ん中を言語化するだけでも、何か恐れを感じる。

恐れというのは、「そもそも無理なのではないか」「到底自分には理解できるものではない」という否定的感情と、冒険に出かける前日の夜のような感覚が、入り混じった感情だ。



志も、新たにした。

子どもの気持ちを信じきる生き方ができる人物になりたい


今までは「総合判断ができる、または、アウフヘーベンの解を見つけることができる人物になりたい」と考えていた。


これは幼少から自分の中にあるひとつの想いだ。

父の影響も大きい。


最初はこの2つを志としていたのだが、何か「中途半端さ」を感じた。

また、どれだけ最適な解を見つけたところで、それは本当に大事なことなのか。

常に解は変化するのではないか

であれば、一度思い切って信じるという選択もありなのではないか。

そう思えてくると、2つの志は、一つになった。


大きく変化したのは、「大志(ビジョン)」だ。

より具体的な言葉で表現できるようになった。


「誰もがど真ん中を生きる道をいつからでも選択できる社会」


人生には、耐えることができないような困難にも出逢うはずだ。

もしそんな困難に遭遇したとしても、「ど真ん中を生きる」という選択肢が常に目の前にあること。

いつからでも」の言葉を加えた。


そのために、すべての人が持つ「物語を生み出す力」と「物語に貢献する力」を掘り起こし、分つ世界から、複数の価値を許容し、才能を高め合うエコシステムの構築が重要になってくると思う。


どうしても生み出す力に魅力と価値を感じやすいのだが、その裏には貢献する力が存在する。この2つの視点と力を活かすこと。

これが新しいコミュニティのポイントのように思う。

 

その視点を手に入れることができれば、百姓、つまり100通りの仕事をこなすような生き方が生まれてくるのではないか。

これは東洋と西洋の思考をうまく受け入れてきた日本の良さを再発見することになるかもしれない。

そんな妄想が広がる。



MEからWEに広げていく。

その世界観の中に「安岡郷学」のキーワードを新たに加えた。

詳細は省くが、これは機会があれば多くの人に伝えていきたい。


その上で、新たな変化を生み出していくためにも、1on1を活用して深層対話をする場を創っていきたいと思う。




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