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執筆者の写真yamashina shigeru

14歳の挑戦

14歳の挑戦


地元の中学2年生が、1週間地元の企業で、働く体験をします。

その初日に、ヤマシナ印刷で体験をする大谷中学の中学生と、ハーブガーデン平田で体験する石動中学の中学生と、合同でスタートアップセミナーを開催。

会場は、LiTa Studio ELABO


内容は、2年前ぐらいに大谷中学で発表させていただいた内容をアップデートしたもの。

そのときも確かブログで紹介した記憶があるのだが、改めて紹介します。




(前編)



「才能を活かす」

やましな しげる


「疲れる」という言葉を普段何気に使うと思う。

でも、幼稚園のときに、「疲れる」という言葉を使っただろうか。


何が疲れるのだろうか。

身体が疲れるのだろうか。

心が疲れるのだろうか。

頭が疲れるのだろうか。


ひとつエピソードを紹介する。


今回のテストは、苦手教科のテスト範囲が広く大変だった。しかも、部活動の友達とも最近うまくいってない。すごく疲れている。 でも、今日は、日帰りでUSJに行く日。丸一日全力で遊び、最高の一日になった。 心もカラダもリフレッシュできて、明日から頑張れそう!

似たようなエピソードを友人から聞いたり、自分自身も経験したことがあるのではないか。

でも、よく考えるとちょっと不思議なはずだ。

辻褄が合わないはずだ。


椅子に座ってテストをするだけより、丸一日USJで遊ぶほうが明らかにエネルギー消費が高いはずだし、疲れるはずだ。

にも拘わらず、テストのほうが疲れて、USJで遊んだほうが、疲れがとれてリフレッシュできたって話している。

不思議じゃない?




疲れるとは、「ココロ」「アタマ」「カラダ」のどれか一つだけを利用して、しかも自分が想定したような結果が得られない時に感じること。


逆に、この3つの内2つ以上をある一定量バランスよく利用し、かつ、自分が想定したような結果が得られたとき、充実感を味わえるのではないか。


この充実感こそ、疲れるというよりむしろ「リフレッシュできた」という感覚の正体かもしれない。


つまり、どれだけやっても「疲れないこと」または「充実感を味わえること」は何か




ココロで思っていること

アタマで言語化した言葉や発言

カラダで実際に行動していること

この3つが矛盾なく繋がっていることをすると、疲れを感じないのではないか。



ひとことでいうと、自分と仲良くすること


では、自分と仲良くなるための初めの一歩は?




(中編)



自分と仲良くなるための初めの一歩は、「まず行動すること」から始める。

行動してみて、自分の心がどう感じたのか、何を考えどんな言葉が生まれたのか。

その自分の変化と周りの変化を観察すること。


ぼくらは今、予測不能な時代を生きている。

だからこそ、頭で考えても、どうせ分からないし、予測してもあてにならない。

だったら、まず行動してみること。


これが今を生きる時代にとってすごく大切なことだと思う。



目的を気にせず楽しんでみる、遊ぶこと。

直感を信じて前に進んでみること。


そして、自分と仲良くなれることが見つかったら、きっとその中には自分の才能がある。




才能とは、何か特別なことではない。

才能の定義を


才能とは、モチベーションに左右されず、どれだけやっても飽きずにやり続けることのできること

としたとき

自分と仲良くする=いつまでやっても疲れないこと=ココロとアタマとカラダが一致していること=才能

になるはずだ。



将来仕事を選ぶときに、いつまでやっても疲れずに飽きない仕事を選んだほうがいいよね。

言い換えるならば、自分の才能を活かし、目の前の人を喜ばせることを仕事にする。


急に「目の前の人を喜ばせること」を仕事に、と言ったのにも理由がある。



人は動物よりも秀でた力のひとつに、「ミラーシステム」というものがある。

自分の傍にいる人の表情か感情をみることで、自分も同じ感情になるという鏡のような感覚だ。

目の前に涙を流している人がいれば、自分も悲しくなるし、元気いっぱいに笑っている人がいれば、自分も元気が湧いてくる。

このミラーシステムを利用して、人は周りの環境から多くのことを学んでいく。



では、誰も生まれて最初にミラーシステムで学ぶことは何か。


それは、両親からの無条件の愛情だ。

「我が子を喜ばせたい」として、いろんなことを両親はしてくれたはずだ。


つまり、人は、生まれて最初に、目の前の人を喜ばせることを学ぶ。

それは人類共通の才能のひとつだとも言えるかもしれない。


だからこそ、自分の才能を活かし、目の前の人を喜ばせることを仕事として選択することは、必然的なことだと思う。




(後編)



自分の才能を活かし、目の前の人を喜ばせることを仕事として選択する。


言われてみれば、至極当たり前のようなことかもしれないが、すごく大切なこと。

なぜそういった選択が大事かというと、理由がもうひとつある。




それは、「誰もが、年齢・性別・場所に制限されず、自分の才能を活かして働く自由があるのは、これまでの人類の歴史上はじめての時代」だからだ。



当たり前のように思うかもしれないが、わずか50年前でも、多くの職業選択の制限が社会には存在した。

それが今、この日本では、自分の才能を活かして働く自由がある社会なのだ。


だからといって、今を生きている全員が、そんな生き方をしているかといえば、決してそうではない。

いろんな理由はあるにせよ、「疲れることが分かっている仕事」を選んでいる人が多い。

だからこそ、その疲れを開放するためのエンタメが世の中にはいっぱい存在する。



では、自分の才能を活かして働く自由がある社会を、今以上にもっと普及させるためにはどうすべきか。

それは、ひとりひとりが、この選択をしていけばいい。

そのひとりひとりの選択こそが、時代を進化させていく。



つまり、今14歳で、せっかくこれから仕事を選ぶことができるのなら、ぜひ、自分の才能を活かし、目の前の人を喜ばせることを仕事を選択してほしい。

それは、自分が幸せになることでもあるし、社会をいい方向に前進させることにもつながるからだ。



最後に。

ここまで理解してもらっても、現実を考えた時、やっぱり、先生や親の言葉に左右されてしまうことが起きる。


そんなときに考えてもらいたいのは、「環世界」についてだ。


100人いたら、100通りの見方で世界と接している。

それは目の構造や耳の構造から考えても、説明できる。


3Dの情報を目の網膜で一度2Dに変換される。

2Dの情報を脳に伝達し、これまで蓄積した経験も加味しつつ、3Dに構築し直して、「見えた」と感じているだ。

つまり、人それぞれの目の網膜の感度と脳や経験といった個人差によって、見ている世界は変わるのだ。


自分が見ている、感じている世界は、自分だけのもの

その感覚を大事にしてもらいたいなと思う。



まとめ

①やり続けても疲れないこと(才能)を探究する

②そのためのはじめの一歩は遊びや直感

③つまり身体感覚がすごく大事になる

④自分の才能が活かされることを仕事にする

⑤それが社会を発展させることにつながる

⑥人はそれぞれ自分の世界をもっている

⑦だからこそ先生、親、空気に流れないこと

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