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執筆者の写真yamashina shigeru

血・育ち・教え

更新日:2019年9月18日


以前、ど真ん中名刺を制作させていただいた海老さん。

その当時は、まだど真ん中名刺のワークショップは開催していませんでした。

自分の興味のあること、やりたいこと、取り組んでいることをひとつに表現する名刺。

自分の本業と、プライベートで交流会やイベントで参加するときの名刺をひとつにするために、制作した記憶がある。

今回はまた新しく企画されたネット販売のサイトを知ってもらう名刺の依頼だった。

血・育ち・教え

修身教授録の中で、森先生が、一人の人間が出来上がる上で、最も重要な三大要素と言われています。

血というのは血統のことであり、さらには遺伝といってもよいうでしょう。

また育ちというのは、言うまでもなくその人の生い立ちを言うわけです。

そして教えというのは、その人の心を照らす光を言うわけですが、しかしこの場合、家庭における躾というものは「育ち」の中にこもりますから、結局教えとは、家庭以外の教えということであり、とくに私としては、一個の人格に接することによって与えられる、心の光を言うわけです。

と書かれています。

ど真ん中名刺のワークショップでも、必ずこの血・育ち・教えに関して、向き合っていただくことにしています。

自分のルーツ、親の姿、親の背中が語っていたもの、自ら師と仰ぐ人から学んだこと。

この自分というものを成り立たせているものは何かを考え、それが、今の仕事とどう結びついているかを考えます。

さて、話は戻り、海老さんの新しくはじめたサイトの紹介文が、とても素敵です。

高岡銅器が生活に溶け込んでいた 高岡は、銅器や鋳物が盛んな都市です。時代の変化と共に、生産量は減ってはいますが、今でもそれは変わりません。 幼少期、母の内職は銅器の蝋型のバリ取りでした。蝋型が細長いプラスチックの箱に並び、工場と家を往復します。内職のおかげで、母はいつも家にいてくれました。それがとても嬉しく、今となっては感謝しかありません。恥ずかしがりや私でしたが、集荷の人との小さな交流も楽しく、銅器は生活の一部であり、とても身近なものでした 大人になり、合金の小さな置物を見た時、その可愛らしさに一目ぼれをしました。以来、見かけては集めるようになり、盆景や添配という言葉もその時に知りました。 眺めて楽しむ反面、残念に思うこともありました。それは、どのお店でも「昔は色々種類があったけれど、今はここにあるやね」と言われることでした。伝統工芸に携わる方からの「流通が止まると、作り手がいなくなる」という言葉もずっと気になっていました。 どうして、わざわざこんなHPを?と思われる方もいるかもしれませんが、一番は「知ってもらいたい」という気持ちです。ご縁が繋がることを願っています。

海老さんにとっての血・育ち・教え、自分の仕事、そこから見えてくる課題、自分のワクワクが端的に表現してくれている文章だなって思いました。

さて、今回、修身教授録の血・育ち・教えの講を今一度読ませていただいて、気付いたことがある。

それは、血・育ち・教えというものは、確かに自分を構成している三大要素ではあるが、それに向き合うということだけではなく、血と育ちに根差す人間のあくというものをどのように除去することに取り組むか

人間の血と育ちからくる卑しさの根深さに気付づく必要があると書かれている。

人間40歳を超えれば、自然にこのことについて気付く。

しかし、40年のあくは、40年以上かけて取り除かなければならなない。

もし、そうなのであれば、20代ぐらいに気付き、動き出すことを進めている。

われわれの一生は、自分という一人の人間の、いわば面作りのようなもので、われわれは一生かかって、この自分の「顔」という唯一つの面を、仕上げるようなものとも言えましょう。

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