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真実の生活

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 2016年8月19日
  • 読了時間: 1分

更新日:2019年9月18日


昨夜は、久しぶりに「修身を学ぶ会富山」富山会場の勉強会でした。

テーマは「真実の生活」。

梯子を一段でも上に上がることを目指すか。

それとも、今、この場所にとどまり、

目の前の壁を掘り進めるか。

それは、

生きている中で、

何度でも問われる内容だ。

今新しくやろうとしていることが、

覚悟を決めて掘り進めていることに当てはまるのか?

それとも、一旦掘り始めた穴から出て、一段梯子をあがり、改めて掘り始めようとしていることになるのか?

また、

ひょっとして、あと一振りで金鉱がでるのかもしれない。

あと、10年掘り続けなけれな、金鉱はでないかもしれない。

その不安と現実に、どう向き合うか。

人は、その時、

「自分はこんな想いで掘り始めたんだ」

という根っこの定義自体を自分の都合のいいように湾曲させ、再定義し、

自分を安心させることだってできる。

それも人間だ。

つまり。

どこまで自分に誠実であるかどうか。

そこが問われる気がする。

では、誠実とは何か?

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