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親は何故に大切にしなければならぬのか

更新日:2019年9月18日


それは、志をはっきりとさせるためであるともいえる。

今日は、修身を学ぶ会富山 in ELABOでした。

真実に心に願うことは、もしそれが単なる私心にも基づくものでない以上、必ずやいつかは、何らかのカタチで成就せられるものである。

われわれ人間は、その人の願いにして真に真実であるならば、仮にその人の肉体が生きている間には実現せられなくても、必ずやその死後に至って、実現せられるものであります。

そんな志を抱き生きるためには。

「人生二度なし」

という誰も逃れられない真実を自分ごととして深く理解し、日々の生活を歩むところから始まる。

人間としてこの世に生まれてきた意味は、この肉体が朽ち果てると同時に消え去るものでは、まだ十分とは言えないと思うのです。

人生二度なしという真理を痛感して、いささかでもよいから、その精神が死後にも生きるような人間になって頂きたいと思うのです。

さらに、人生二度なしという真理をより深く理解するためには、命、自分の命に対する愛惜がないといけない。

何一つ努力をしたわけでもなく、人間としてこの世に生を受けたことに対する生命の愛惜。

そしてその命は、綿連と繋がる命のリレーの先端にあること。

親の有難さ。

そう。

志を立てるとは、

①人生二度なしという真理を深く理解することからはじまり、 未来を慮る。

②それを理解するには、生命の愛惜をもつ必要がある。 過去を慮る。

その二つを重なるところに、志があるともいえる。

親を大切にするということ。

それはすなわち、志を明確にするためともいえる。

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