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地域活性化と土徳

更新日:2019年9月18日


修身教授録

第21講 血・育ち・教え から抜粋 この三つのものは、一人の人間が出来上がるうえで、最も重要な三大要素である。 「血」というのは血統のことであり、さらに遺伝と言ってもよいでしょう。 「育ち」というのは、その人の生い立ち、家庭における躾を言うわけです。 「教え」というのは、家庭以外の教えということであり、一個の人格に接することによって与えられる、心の光を言うわけです。 このうち「血」と「育ち」に対しては、よほど立派な教えを聞き、さらにまた自分としても相当務めたつもりでいましても、この血と育ちに根差した人間の「あく」というものは、なかなか容易に抜けないのです。 20代からそれに気付き、懸命の覚悟をもってこれが除去に着手するでなければ、とうてい、これを除き浄めることはできない。 我々の一生は、自分という一人の人間の、いわば「面作り」のようなもの。 われわれが一生かかって、この自分の「顔」という唯一の面を、仕上げるようなものとも言えましょう。 その面作りという、人間の生涯の修養をはじめる上で、自分の血と育ちにおける「卑しさ」が、自分の言動のどこに、いかなる形態をとって現れているかということを、まず知らなければならないと思うのです。 それに気付く手がかりは、身近な友の中で、血や育ちのよさからくる気品のある人たちの所業を、平生よく気を付けて見ているがよいでしょう。 しかし、この優れた点に気付くということは、結局その根本において、「教えの力」によらなければならぬでしょう。 つまり、人間というものは、教えの光に照らされなければ、たとえ幾年、否、時として十数年の永きにわたって交っても、この点に対する深い自覚には至りがたいものであります。 教えの光に照らされるということは、つまりは「自分の醜さ」が分かり出すということ。 自分の醜さが、遠くその血と育ちとに根差すものだということに気付きそめるに至って、教えの光は、ようやく自己の骨髄に染み込みかけたと言ってよいでしょう。

ど真ん中名刺WSでは、この血・育ち・教えに関して振り返って考えてもらう時間を作っています。

この血・育ち・教えから生まれたご縁。

そのご縁があってこその、今の役割・仕事。

今与えられている仕事に愛を感じること。

それが、ど真ん中名刺づくりのはじまりです。

さて、改めて。

森信三先生が言われているように、人間というのは、血・育ち・教えという三つの要素から出来上がっている。

この血と育ちは、ある意味各個人のルーツであり、家庭の中のことである。

しかし、自然、景観、子育て支援、コミュニティなど、血・育ちに影響を与える素地を、地域で力を合わせて良くしていくことが、「地域づくり」「地域活性化」なのだろう。

その視点をもつことで、地域づくりで大切なところは、何か。

大切なことが見えてくるように思う。

さらに、それだけにとどまらず、

地域ならではの「教えの光」が共通認識として浸透すること。

それは信仰心なのかもしれない。もったいないという心なのかもしれない。

そういったその土地ならではの「教えの光」が浸透することで、

ただその地域で暮らすことで、自分の至らなさ、他者への思いやり、自然への畏敬の念が生まれ、その積み重ねが世代を超えて伝承されていくことで、「土徳」と呼ばれる精神文化が誕生するのだろう。

血・育ちと、教えの好循環を生み出すこと。

そこまで考えた地域づくりは、本物になりそうだ。

「人は、師を持たねばならぬ。」と、いろんな賢者が言われるのは、それゆえなのでしょう。 師の教えがあることで、その教えと他者を比較することで、他者のすばらしさ、自分の醜さを自覚することができる。 それを自覚できてはじめて、目指すべき道が見えてくるのでしょう。 その教えの光が、意識する意識しないに関わらず、その地域の暗黙知として存在する。 つまり、「暗黙知こそ、教えの光」となるのであれば、、それこそ土徳たる精神文化が誕生するのだろう。 机に座ったらいけないよ。 道端でおしっこしちゃいけないよ。 ちゃんと、お天道様が見てるんだから。 お天道様が見てるという教えも、相当なもんですよね。 その精神、その教え、その強さ。 一度剥ぎ取られた日本の精神。 世界の和道として伝えたい精神とは、そこなのかもしれない。

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