CONTEXT DESIGN
渡邉康太郎 著
読了
ずっと読みたかった本。
多くの方に紹介したい本です。

ある歌人は、短歌はドーナツであるという。 ある小説家は、書かれた言葉は書かれなかった言葉の影であるという。
はじまりに、こんな言葉が紹介されている。
もうすでにこの本の虜になりそうだ。
読み手が自由に創造できる余白を残す。
その余白が、読み手にスペースを生み出し、そのスペースから新たな物語がはじまる。
その始まりの物語を生きるすばらしさよ。
それは、とても儚い物語。
ある人にとったら無意味な創造。
たったひとりの、独りよがりの物語。
無価値なことだと評価されるかもしれない。
どんな儚い物語でも、思いもよらないカタチで誰かに届くことがある。
この世界は、そんなたった一人の勇気ある一歩で創り上げられているのではないか。
編み物のように。
これはソース原理で語られている内容と合致する。
12月31日朝6時。
ぼくは人生で初めてお餅をつくることを決めた。
1週間ほど前に参加した親子論語塾で、毎年恒例の餅つきが行われた。
ぼくの知り合いも初めて参加してくれて、餅つきを楽しんでくれた。
2人の友人がソーシャルメディアで餅つきの写真をアップしていた。
「いつものように淡々と」
偶然にも二人ともそんな投稿だった。
餅つきはイベントでなく、ずっと続く年末の日常なのだ。
北海道の友人。
「人生ではじめてパンを作ってみた。パンが愛おしい。」
昨日の妻との朝ラン。
「あなたの中にある痛みとは何か」
そんなテーマを語り合いながら走った。
答えは出なかった。
一緒にいつもの神社にお礼にいく。
そこで出会った言葉たち。

今朝起きると、息子が走ることを途中で断念して戻ってきてた。
小雨が降り始めていたらしい。
ルーティーンが崩れて満たされない心。
朝早く次女が起きてきた。
「今日はバイト」
すべてが繋がっているわけでもなく、繋がっている。
ぼくの頭のなかでは、もう餅をつくることを決めている。
餅つき機の代用となりそうな機材は何もない。
そんなことはどうでもいい。
はちみつうかと交換したもち米がある。
白米を炊くようにもち米を炊き、ひたすらすりこ木でつぶす。
手で触れてみる。
手が餅でどうしようもなくなり、途方にくれる。
鑑賞から解釈に自然と誘われるもの。このような作品にはどのような特徴があるのだろうか。―、欠如、余白、不完全、中空、矛盾、分類不能、無目的―。
人間は食べ物なしで40日、水なしで3日生きることができるが、なにかに意味を見出すことができないと、およそ35秒しかもたない。(リサ・クロン)
毎朝5時からのニューアースの音読会では、この人間の思考、物語、言葉、レッテル貼りからくる負の問題。
その負の問題は、なぜ起こるのかという根源的な原因にスポットを当て、その根源的な原因からいかに解放し変容していくか語られている。
51:49
負のテーマがあることを自覚しながらも、未来に向けて新たな物語をつくり出す。
そのすぐにも消えてなくなりそうな個の物語は、どれほど世界にとって大切なことなのか。
個の物語が、全体の物語と繋がり合っているの。
誰もがクリエイターなのだ。
すべての人がクリエーターであり、すべての人がソースなのだ。
この視点に立ち、世界を見る。
それはどんな世界のなのか。
それを深く洞察した本でした。
いま、最後の買いだしから妻が返ってきた。
「空を見上げてごらん。ちょうど虹が出そうな雰囲気だよ。」
「涙がでそう。」
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