人生をゆさぶる
永田円了 著
読了
真国寺でお盆を過ごし始めて10年ぐらいになる。 最初のころ、住職である円了さんからよく質問されていた。
「印刷会社はこれからどう変わっていくべきか」 「どんな仕事がこれから必要になるだろうか」
貪欲な好奇心のある円了さんにとって、印刷会社の仕事と、それに向き合うぼくの姿に、何かしらギャップを感じていたのではないか。
この著書のテーマにもなっているとおり、円了さんは、人生をゆさぶること、変容していくこと、エンパワーメントしていくこと、そこに常に興味を抱き、自己変革を楽しんでいるように思う。
そう考えた時、印刷会社という仕事は、ゆさぶることもなく、変容することもなく、特別な場合を除き自分の才能をいかんなく発揮する場でもないように感じるのではないか。
それは、どちらかというと正解だろう。
にもかかわらず、その仕事に向き合っているぼくの姿と行動の狭間にある何かを察知してくれていたのだと思う。
そして、もしそこに正当なる答えがないのであれば、変容していくことを伝えようとしてくれていたのかもしれない。
そんなある年お盆。
同じような話題から、ど真ん中名刺について話すことになった。
その話に触れた瞬間、円了さんの表情が一気に変わったことを思い出す。
「そんなことが可能なのか」 「そんな生き方ができている人が、富山にいるのか」 と。
100人以上の方のど真ん中名刺をつくりましたと話すと、
「それが本当なら、世界は変わるかもしれない!」
それくらいのテンションで前のめりに話したことを思い出す。
そして突然、セミナーをしてほしいということになり、お寺でど真ん中名刺のワークショップをさせていただいた。
この本を読んでまず思ったこと。 僕なんか及びもしない深さで、「ど真ん中を生きる」とは一体どういうことなのか。 それには、どんな試練と向き合うことになるのか。 このど真ん中を生きることに対する光と闇を理解されているということだ。
なぜ、あの時円了さんの表情が一機に変わったのか…。
それが腑に落ちた。
大学卒業後アイスホッケー部のヘッドコーチを経験、岡山での修行の日々、実家の危機、ある銀行マンの言葉、ソーシャルメディアが導いた多くの出逢い、家族会議、いろんな導きがある中で始まったど真ん中名刺。
大いなる何かに導かれるように、今の活動に向き合わされていることに驚きを隠せない。
著書の中で、ぼくが一番ゆさぶられたのは、この詩だ。
「真の恐れ」マリアン・ウイルアムソン Our deepest fear
著書では、円了さんの翻訳が紹介されている。
Our deepest fear is not that we are inadequate. Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.
It is our light, not our darkness that most frightens us.
We ask ourselves, Who am I to be brilliant, gorgeous, talented, fabulous? Actually, who are you not to be? You are a child of God.
Your playing small does not serve the world. There is nothing enlightened about shrinking so that other people won’t feel insecure around you.
We are all meant to shine, as children do. We were born to make manifest the glory of God that is within us. It’s not just in some of us; it’s in everyone.
And as we let our own light shine, we unconsciously give other people permission to do the same. As we are liberated from our own fear, our presence automatically liberates others.
私たちが本当に恐いのは、心の奥に潜む闇の部分ではなく、実は人に無限のパワーを与えてくれる、光の部分なのである。
確かに、10代、20代に強く感じたのはこの光だ。
それを思い起こされた。
今はどうか。
無限のパワーに気づく瞬間はある。
しかし、そこに恐れを感じているだろうか。
否。
どこかで無限のパワーに背を向けることをしているのではないか。
いや、背を向けるとかではなく、可もなく不可もなく、じっとその光を眺めているような感覚か。
いずれ、その光の中に飛び込む瞬間があることを知っている。
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