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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

朝活大学素読会でした。

 

古代の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む。 その国を治めんと欲する者は、まずその家をととのう。 その家をととのえんと欲する者は、まずその身を修む。 その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しうす。 その心を正しうせんと欲する者は、まずその意(こころばせ)を誠にす。 その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。 知を致すは、物を格(ただ)すにあり。


物格(ただ)してのち知至る。 知至りてのち意(こころばせ)誠なり。 意誠にしてのち心正し。 心正してのち身修まる。 身修まりてのち家斉(ととの)う。 家斉いてのち国治まる。 国治まりてのち天下平らかなり。

 

今日はココ

いわゆるその意(こころばせ)を誠にすとは、自ら欺くなきなり


意とは意識のこと。 内側に心があって、それが表面に現れてくるものを「意(こころばせ)」という。


心と意を正常にすること。 それはつまり、自分が自分を欺かないということ。


では、それはどのような心掛けを行えば、できるようになるか。 それが「慎独」だと。

誰が見ていなくても、誰が聞いていなくても、自己自身を慎んでいく。





今回は大学を学びながらこんなテーマで盛り上がった。

やるべきことと、ワクワクすること、果たしてどちらを優先させるべきか。


これは、やるべきこととは何か、ワクワクすることとは何か、という定義で内容は全然違ってくるとおもう。

 

個人的な経験から考えると、やるべきことを疎かにすることは、長期的に考えた時にあまりいい結果にならないのではないかと思っている。


ただし。

やるべきことをするための「手段」をどうするか。

ここがすごく大事なんではないか。

 


具体的な話をしよう。

 

10数年前、これからヤマシナ印刷解散の危機があった。

リストラも断行し、残ったスタッフでこれからどうしていくのか。

結構、追い詰められた状態だったと思う。

そのときの意見のひとつが、「みんなで営業し、みんなで制作する」ということだった。


コツコツと新規企業を訪問する。

そういった地道な方法が、まず考えられる。

多くの同業者は、この地道な営業を積極的に行っている。

ノルマもあるのだろう、会社にも同業者がよく訪ねてくる。

 

しかし。

頭ではやるべきことは分かっているが、心が動かない。

そんなモヤモヤな状態が続いていた。


そのモヤモヤを解決した方法は2つある。

その一つが「手段の選択」だ。

 

ぼくが選んだのは「ありがとう集め」だ。

イベント等に出店し、「ありがとう新聞」を発行し、地域のありがとうを集める活動である。

イベントの主催者、出店されているお店の方、そして、お客様に積極的に声をかけて、ありがとうの想いを画用紙に書いてもらい、写真を撮らせてもらうのだ。

ありがとう新聞とは、撮らせてもらったありがとうの写真をその場で印刷をしてプレゼントするというもの。


これは決して営業と呼べるものではない。

むしろ、もっとも気を付けたことは、できるだけヤマシナ印刷ということがバレないように活動すること。

しかし、この活動が、多くの方にヤマシナ印刷を知ってもらうキッカケとなり、あらゆる活動を始めるキッカケとなった。

ここから、ど真ん中名刺に繋がっていく。


この活動は、ぼくもすごくワクワクして楽しかったし、大いなる使命を感じることができた。チャンスさえあれば、今でも続けていきたいと思っている。



つまり。

やるべきことと、ワクワクすること、どちらを優先すべきかという問いの答えは、この2つを両立することを考えるということだ。

やるべきことを深く理解し、それを実行するための手段をいかに自分がワクワクする手段にできるかどうか


では、ワクワクするとは何か。

これもいろんな定義があると思うが、ひとつは、自分の才能を活かしている状態かどうか、なのではないか。


そう考えると、ワクワクする手段を考えるためには、まず、自分のアート、自分の才能はどこにあるのかを知る必要がある。

 

それを「大学」では、一番最初の文章で表現している。


大学の道は、明徳を明らかにするにあり


この言葉に通じる。


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