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今回の親子論語塾

はじまりのの書道は「改」でした。

蓮花の書

子曰く、 過ちて改めざる、これを過ちという。

論語の中でも、とても分かりやすく、端的に普遍的で今に通用する章句の代表だ。


塾の最初に「喪に服す」ということについてお話があった。

孔子が生きていた時代では、親が亡くなると3年間喪に服すことになっていた。

弟子のひとりは、3年間は長すぎるのではないか、1年で十分ではないかということを言ってきた人がいる。


確かに3年は長いのかもしれない。

現代では父母が亡くなったときの喪に服す期間は、13カ月と言われている。


けれでも、親は子を育てるときに3才になるまでは自分の胸元の中で大事に育てる。

3才になって、ようやくこの子は大丈夫だと思う。

親から3年間大切にしてもらえた恩を考えると、3年喪に服すことは長いわけではないはずだと。


このお話を聞いて思い出したことがある。

ぼくのおじいちゃんは中学生のときに亡くなったように記憶している。


それからである。

大晦日の夜、除夜の鐘を突きにいく、初詣にいく。

父親はそれに行かなくなった。


最初はぼくも、「あ、喪に服しているのかな」と思っていた。

けれでも、2年後、3年後…、30年経った今でも、父が除夜の鐘や初詣にいくという姿を見たことがない。

もしかすると、まったく違う理由があるのかもしれない。

けれども、親がなくなったことで、父の行動は変化したのではないか。

お墓の掃除や墓参りも、とても熱心になったように感じる。

単純にぼくの見方が変わっただけかもしれない。本当のところは知らない。


喪に服すことの意味

親やご先祖からいただいた愛

過ちを改めざる、これを過ちという


この世に生を受け、生かされている命のことを考えると

「過ちを改めるとは何か。」


それを考えるきかっけとなった。

春のお彼岸に墓参りにいこう。

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