何者でもない僕が、何者かになる物語
LUCKY MAN
著者 若山陽一郎
自分の軸を持って生きるということ
在り方
著者 永松茂久
2冊読了
この2冊には多くの共通点があった。
ひとつは、今なすべことに向き合うことの大切さを伝えてくれていること。
「LUCKY MAN」では、とにかく目の前のことを一生懸命やる。すると今の自分では想像できないような未来がまっている。このワクワク感を紹介していた。
「在り方」では、有名な経営者の言葉を引用して、今なすべきことの大切さを伝えてくれていた。
「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」小林一三(阪急・東宝グループ創業者)
同様に、自己肯定感についても語っている。
「やるべきことをやってないと、人は自分のことを心から好きになれない」
自己肯定感は、やるべきことをやるという目の前の石を積み上げていく結果でしかないのかもしれない。
だからこそ、他者からのアドバイスではなく、自分が立たないといけないのだろう。
これは、ど真ん中名刺エディットワークでも同様だ。
先日ちょうど同じような問いにぶつかり、名刺の最終的な肩書を悩み、最後に変更された方がいた。
その方には、未来の夢もある。自分のワクワクもある。新しい可能性も信じている。
だからこそ、もっと楽しいど真ん中を生きたいと。
ただ、自分と向き合った時にみえてきたものは何か。
それは、今の自分がどれほど恵まれた環境で働かせていただけているのか。
そして、自分が成長するために出逢った友への感謝だ。
そのときに、自分の軸がどこにあるのかを今一度確かめられ、肩書を修正された。
未来のための肩書ではなく、今に向き合う肩書だ。
すごく勇気のいる決断だったのではないか。
これは決して夢に向かって後退したわけではない。
今ある着地点に感謝し、改めて出発することこそ、大いなる未来の道が開かれるのではないか。
話は長くなったが、もう2冊の共通点があった。
それは「旅」だ。
「LUCKY MAN」では、
「僕の一番大きな夢は、旅するように生きることかもしれない」
そう締めくくられていた。
「在り方」では、日本人のルーツともなる有名な古典を紹介されていた。
松尾芭蕉の奥の細道の冒頭部分だ。
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
月日は永遠の旅人であり、やってきては過ぎゆく年も、また旅人のようなものだ。
この2つに共通する旅という言葉には、日本人の「無常観」が表現されている。
あらゆるものは変化しつづける。
それが宇宙のひとつの真理だということだ。
それをそのまま受け入れる。
そして、無常にして消えていくからこそ、今を懸命に生きる。
ど真ん中も一緒だ。
自分のど真ん中も不変ではなく、変化し続ける。
その変化を受け入れながら進むこととなる。
この一見、
①なすべきことをなす
②無常観を受け入れる
は、立ち止まる感覚と変化しつづける感覚という相反する感覚のように見えるが、どの視点で見るかの違いのだけであり、流れの一部分なのだ。
そこを腹落ちできるかどうか。
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