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執筆者の写真yamashina shigeru

梯子を一段でも上にあがるか、それとも今、この場所にとどまり、目の前の壁を掘り進めるか、それは生きている中で、何度も問われる内容だ。

 

今やろうとしていることが、覚悟を決めて掘り進めていることになるんだろうか。

それとも、一旦穴から出て一段上に登り、改めて掘り始めることなのか。

 

ひょっとして、あと一振りで金がでるのかもしれない。

あと10年掘り続けないかぎり、金は出ないのかもしれない。

その不安と現実にどう向き合うのか。

 

人はその時、「自分はこんな想いで掘り始めたんだ」という根。


この定義自体を自分の都合のいいように定義し直し、書き換え、自分を安心させることだってできる。

 

つまり、どこまで自分に誠実であるかが、問われる。



立野原観光農園、中道さんから頂いた梅干し

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