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  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 2020年2月10日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年2月11日

学校生活のことを思い出すと、朝の挨拶、授業開始の礼、終わるときの礼、…常に「礼」がある。

そして、「礼」について常に先生方は生徒に注意していた記憶がある。

学校で先生が怒る一番の理由は「礼」ができていないことなのではないか。


でも、なぜ「礼」が大切であるのか。

そのことについて学ぶことも教わることもなかった。

常識であるということこそ唯一の理由にように。

そして、恐れから、または目上の人を敬るといった形式だけの「礼」だけが身体に残っている。


社会にでると、なおさらカタチとしての「礼」を教えられる。

お客様に訪問するとき、メールのやり取りなど、日常とかけ離れた「礼」をカタチとして学ぶ。


なぜ「礼」がいるのか。



今日も生きている。

わたしも、あなたも。

命がある。

 

人間として生まれた喜び、その生命があることを敬し、「おはようございます」「おかえりなさい」「おやすみなさい」という挨拶がある。

 

日常の挨拶や礼は、命があることへの礼なのだ。

 

そう思えた瞬間、挨拶や礼は、目の前の相手に対してではなく、その相手の人の命と自分の命がつながりあっている有難さの証として存在するのだと思えた。


つまり、「礼」ができるということは、自分がこの世に存在できていることへの感謝であり、相手も同様にこの世に存在できていることへの喜びであり、お互い様として「礼」があるのだろう。


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