top of page

更新日:2020年2月12日

学校生活のことを思い出すと、朝の挨拶、授業開始の礼、終わるときの礼、…常に「礼」がある。

そして、「礼」について常に先生方は生徒に注意していた記憶がある。

学校で先生が怒る一番の理由は「礼」ができていないことなのではないか。


でも、なぜ「礼」が大切であるのか。

そのことについて学ぶことも教わることもなかった。

常識であるということこそ唯一の理由にように。

そして、恐れから、または目上の人を敬るといった形式だけの「礼」だけが身体に残っている。


社会にでると、なおさらカタチとしての「礼」を教えられる。

お客様に訪問するとき、メールのやり取りなど、日常とかけ離れた「礼」をカタチとして学ぶ。


なぜ「礼」がいるのか。



今日も生きている。

わたしも、あなたも。

命がある。

 

人間として生まれた喜び、その生命があることを敬し、「おはようございます」「おかえりなさい」「おやすみなさい」という挨拶がある。

 

日常の挨拶や礼は、命があることへの礼なのだ。

 

そう思えた瞬間、挨拶や礼は、目の前の相手に対してではなく、その相手の人の命と自分の命がつながりあっている有難さの証として存在するのだと思えた。


つまり、「礼」ができるということは、自分がこの世に存在できていることへの感謝であり、相手も同様にこの世に存在できていることへの喜びであり、お互い様として「礼」があるのだろう。


最新記事

すべて表示
服装

修身を学ぶ会富山 第10講 肉体の護持 最近、妻から服装について注意されることが増えた。 なにも、立派な服やおしゃれな服を着てほしいということではない。 50歳を超え、それなりの経験と学びを重ねてきた中で、内なる人間的成長と服装の「周波数」を合わせてほしい、ということだと理解している。 服装以外にも、「魂を傷つけてはいけない」と注意される。 何かを我慢すること、本当に望んでいるものを諦めること。

 
 
 
無限の時間を生きる

修身を学ぶ会富山 第13講 伝記を読む時期 偉人とは、自己の生命を最も深大に生きた人と言えるでしょう。 今回は、この言葉が心に留まった。 どこまで深く生きるか――そこには制限がない。 では、ここでいう「深さ」とは、どのように捉えるべきだろうか。 肉体的な生命の長さには限りがあるが、生命を深く生きることには制限がない。 この「制限」という言葉の含みには、「時間」をどう捉えるかという問いがあるのだろう

 
 
 
自己反省

修身を学ぶ会富山 第11講 長所と短所 今回のテーマは、 内面の長所と短所 、そして 外面の長所と短所 に、私たちはどのように向き合うことが大切なのか、というものだった。 長所をどう伸ばすのか。 短所をどう受け止めるのか。 一見、よくある問いのようでいて、しかし掘り下げていくと、とても根の深いテーマである。 まず、内面――精神面の成長について考えたとき、単純に「長所を伸ばす」「短所を克服する」とい

 
 
 

コメント


bottom of page