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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

蓮花4歳になってはじめての親子論語塾。

蓮花が選んだのはこの章句。


子路、

聞くこと有りて、

未だこれを行うこと

能わざれば、

唯だ聞く有らんことを恐る。


子路は、前に聞いた教えを実践できるようになるまでは、

新しい教えを聞く事を恐れた。


実践の大切さを伝える章句だ。


教えは知識として聞くだけではなく、実践して初めて価値となる。

あらゆる教えは実践してこそ、本物の教えなのだろう。


本当のところは分からないが「恐れ」という言葉に、深い覚悟を感じた。

新しい教えも大事だが、そのことで今すべき実践の濃度が薄まること、

または自分のキャパを超えることを恐れているのだろうか。


それほど、教えを聞いたからには実践していくことが重要であり

実践をおろそかにしてはいけないという覚悟を感じることができる。




また、今日の習字は「義」でした。


有名は章句に


君子は義に喩り、

小人は利に喩る。



義とは何か?


「誰が正しいか」という選択ではなく

「何が正しいか」で選択する。


大きな震災が起きたとき、誰を頼るか、

誰の周りに人が集まるのか?


信頼されてる人の周りに人が集まる。


では信頼されている人とはどんな人間か。


日頃、義を優先した選択ができている人間。

その生き様が信頼となる。


もうひとつ。


義と利の違い。

説明責任を果たせるか、果たせないか。


義の選択であれば、もしも間違った結果になろうとも、

自分がなぜその選択をしたのか、選択したときに何が正しいと感じたのかを説明できるはず。


しかし利の選択は、自分が得をするため、または誰の意見を聞くことが得かという選択であったはずであり、それに対して周囲にうまく説明できなくなってしまう。



蓮花が書いた「義」



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