top of page

誠に生きる。

大切なのは「何かをやり遂げたい」と宣言することではなく、

今の自分の役割に、一瞬一瞬に徹すること。

 

これにどんな意味があるのか?

それをすることで、どんな未来になるのか?

 

そういった問いは、重要ではない。

そうではなく、ただ、自分の役割に誠を尽くす。


では、誠を尽くすという中に、「我」をもつことは許されるのだろうか。

我が消えた時に、はじめて誠なのだろうか。


誠を目指すという世界は、剣道、華道、茶道といった型に徹した時に我を消す「道」と相通ずるところがあるように思う。

 

人は必ず死ぬ。

 

自分の役割に、一瞬一瞬に徹するという誠を尽くす生き方とは、実はすごく楽で自由な、ストレスとは程遠い生き方なのではないか。

ただ、そう生きようとした時、外の世界と比較して生きようとする自分の心と傲慢さ、それを自覚することになる。


最新記事

すべて表示
無限と有限の間

修身を学ぶ会富山 第9講 情熱 歳を重ね、経験を重ねていくと、情熱と感動が薄らいでいく。 歳を重ね、経験を重ねていくと、情熱と感動が増していく。 この二つの道があるようにおもう。 もしそうであるなら、この二つの道の分岐点は何だろうか。 もうひとつ、歳を重ね、経験を重ねていくと、情熱は減り、感動は増えていくパターンもあるように思う。 感動は、深くいまに在る力と、今にある喜びが組み合わさる時に訪れるの

 
 
 
深い対話

修身を学ぶ会富山 第4講 死 自分が死んだ後に、何を残すか、どんな働きができるのか。それが問われている。 死後、はじめて本物の社会貢献ができる。 こういったニュアンスのメッセージをこれまでの修身で受け取っていた。 つまり、生きているうちは、どうしても肉体を維持しなければなら...

 
 
 
気品とペインボディ

修身を学ぶ会富山 第8講 気品 約1年ほど毎朝5時からの音読会に参加させてもらっている。 メインは、エックハルト・トール著の「ニューアース」だ。 さて、「気品」とは、一代で身につくものではなく、子孫に伝えていくものだとある。...

 
 
 

コメント


bottom of page