ズレ
- yamashina shigeru
- 2 日前
- 読了時間: 5分
先日、友人が主催しているイベントに参加させてもらった。
そのときに感じた違和感が、いまもずっと気になっている。
この違和感の正体と、いま弓道で向き合っていることが、深いところでつながっているように思う。
ひとまず、弓道の話から書いてみたい。
弓道をはじめて、もうすぐ4年目になる。
そろそろ三段の昇段審査を受けようかと考えている。
三段の審査では、「弓返り」が大事になる。
弓返りとは、矢が放たれると同時に弦がくるりと外側に回転する現象のことだ。
つまり、正しく矢にエネルギーが伝わっていれば、自然と起こる動きである。
しかし、これがまだマスターできていない。
多くの方からアドバイスをいただいているものの、なかなか自分のものにできずにいる。
この弓返りを意識しはじめてから、大きく3つのことに気づいた。
① 意識の力
不思議なことに、的前では弓返りができないのに、巻藁の前ではほとんどできる。
自分では同じことをしているつもりなのに、この差がずっと不思議だった。
なぜ起こるのか。
おそらく、的を意識して「中てよう」としているからだと思う。
巻藁では、的がない分、自分の身体の使い方や姿勢に意識が向く。
どこに力が入っているのかを感じながら、丁寧に動くことができる。
しかし的前に立つと、「中てること」に意識が奪われる。
すると、どこかで力んでしまう。
問題は、その力みがどこにあるのか、自分ではまったく分からないことだ。
ついさっきまで身体に意識を向けていたはずなのに、次の瞬間には、的しか見えていない。
この「意識」が力みを生み、弓返りを妨げている。
人の意識とは本当に面白いものだと思う。
同時に、これをどう乗り越えるのか——、今は、ひたすら練習するしかないように感じている。
② 身体の力
ぼくの利き目は左目だ。
弓道では一般的に、右目が利き目であるほうが有利とされている。
右目で見ると、弓と的の位置関係が分かりやすく、狙いを定めやすい。
しかし左目の場合、その基準が取りにくく、感覚に頼るしかなくなる。
それでもぼくは、この3年間、左目のままで的を狙ってきた。
矢先と的を合わせる感覚で狙いを定め、最近では5割ほどの的中率になっている。

ここで、ひとつ不思議なことがある。
自分では、正しく狙っているつもりなのに、実際にはズレた狙いのまま当たっているのだ。
先生はこう言う。
「身体が勝手に中てにいっている」
つまり、本来であれば外れるはずの矢を、離す瞬間に身体が微妙に調整し、当たる方向へ導いているということだ。
自分の認識や意識とは別のところで、身体が自動的にバランスをとり、結果を修正している。
これは本当に驚くべきことだと思う。
認識よりも、身体知のほうが正確に働いている。
ただし、この状態には問題もある。
本来の力でまっすぐ飛ばすと当たらないため、無意識に力を緩めて調整している。
その結果、矢には常に7〜8割の力しか伝わらず、弓返りが起こらない。
的に当たることだけを目的にするなら成立するかもしれない。
しかし、心と身体がズレたままの状態は、やはり整えていく必要があると感じている。
これは大きな試練だなと感じている。
③ 見えない世界
最後に指摘されたのは、右手の使い方だ。
的を狙うとき、顔は左に向いているため、右手の状態はまったく見えない。
意識することも難しい。
ではどうやって知るのか。
それは、矢を放ったあとの形を見ることで分かる。
「残心」だ。
おもしろいのは「残心」を英語で翻訳できないこと。
ぼくの場合、右手が強いとよく指摘される。
矢を放ったあと、右手が浮くのだ。
一方で、その強さが躍動感として評価されることもある。
しかし、左右のバランスが崩れると、これも弓返りを妨げる原因になる。
やはり大事なのは「中庸」だ。
見えない身体をどう整えていくのか。
ここも大きな課題である。
この3つに共通する、大きな気づきがある。
それは、弓道は「一人で完結する道ではない」ということだ。
これまでぼくは、弓道を「独りを慎む道(慎独)」だと捉えていた。
チームスポーツしか経験してこなかった自分にとって、初めての内省の場だと思っていた。
自分の目指している世界だ思っていた。
しかし実際には、ここで挙げたすべての課題は、自分一人では修正できない。
巻藁と的前の違いを見てもらうこと。
狙いのズレを後ろから確認してもらうこと。
見えない身体の動きを指摘してもらうこと。
すべて、他者の存在があってはじめて成り立つ。
弓道とは、同じ道を歩む仲間との関係性の中で深まるものだった。
そして、仲間の言葉を信じること。
それもまた、大切な修練の一部なのだと思う。
これは『大学』の教えにも通じる。
格物
致知
誠意
正心
修身
ここまでが「本」である。
自分の認識を正し、理解が深まり、心が整い、身が修まる。
いま自分は、この「本」を弓道を通して学んでいるのかもしれない。
ではその先にあるものは何か。
整った自分で、世界とどう関わるのか。
ど真ん中を生きることで、どんな世界が立ち上がるのか。
ぼくの関心は、そこにある。
最初に感じた違和感の正体も、きっとこの方向にあるのだと思う。
世の中にある多くの問題も、「本」を正すところから始めて、世界と関わっていくようにすると、大方解決するんじゃないかとか。これはちょっと極端な思考かな。




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