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執筆者の写真yamashina shigeru

三省

2か月ぶりに親子論語塾に参加しました。

場所は、京都大徳寺の塔頭、龍光院。通常は、拝観謝絶の寺院。曜変天目茶碗で有名なんじゃないか。

先生は、安岡定子先生。安岡正篤氏の孫。毎回遠くを見据えた目と響く声で素読をしていただく。


小学3年の末っ子といつも参加していたんだけど、そろそろ論語塾は面白くないってことに気づかれたようで…。


作務のあとは、座禅。


「何のために座禅をするのか」


座禅会で質問されたようで、和尚さんはこのように答えられたそうです。


人と仲良くするため

コップ1杯の水を貴重だと思えるようになること

「座禅をすれば争いはなくなる」




その後、安岡先生の論語塾でした。


君子は義に喩り、小人は利に喩る

義は正しいこと。利は目先の利益のこと。

孔子は、常にこうあるべきだと言ったわけではない。

感情や思考は、「利」を優先し悩んだり苦しんだりしてもいい。

しかし、行動するときは「義」を優先させること。


ただ、「義」もこれまでの経験や学びによって変わることもある。

それでいい。

そのとき、そのときに、自分が正しいと思ったことを選んでいく。


もし、自分で選んだ「義」の道でうまくいかなかったときにどうするか。

その時は、またこの章句を思い出し、その瞬間の「義」を選んでいく。

それを繰り返していくことが大事だと。




曾子曰く、吾日に吾身を三省す。 人の為に謀りて忠ならざるか。 朋友と交はりて信ならざるか。 習はざるを伝えしか。

曾子は毎日、自分自身の行動を三度反省します。

一つ目は、他人のために行動し、誠実であったかどうか。

二つ目は、友人との関係で信頼を裏切っていないかどうか。

三つ目は、まだ完全に学んでいないことを他人に教えてしまっていないかどうか。



安岡先生からは、渋沢栄一氏のエピソードを紹介していただいた。


論語は2600年前の言葉。

この「三省」という言葉、渋沢栄一はすごく大事にし、座右の銘にしていた。

渋沢は、毎日毎日多くの方の陳情を聴きアドバイスをする。

来客にはすべて会うようにしていたそうだ。

そして、毎日夜に「三省」することを習慣としていた。

そして、三省したことを家族と対話した。

もしその日の夜にできなければ、次の日の朝にするようにしていた。



こんなたとえ話もしていただいた。


キャッチボールをする。

あなたがボールを投げると、相手はボールを取り損ね、拾いに行ってボールを返してきた。

もう一度ボールを投げる。今度も、相手はボールを取り損ねる。

もう一度ボールを投げる。やっぱり相手はボールを取り損ねる。


その時、あなたはどう思いますか。



次回の論語塾は12月22日(日)。

年末恒例のお餅つき大会もあります。

ぜひ一緒に参加しませんか。


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