渋沢栄一と安岡正篤で読み解く論語 安岡 定子 著
多少論語に親しんでなければ読みずらい本ではありましたが、気付きを得た本でした。
著者は安岡正篤氏のお孫さんにあたり、ぼくが毎月通っている親子論語塾の先生でもあります。 定子先生が、毎回論語塾で語ってくれていることと通じることが多くあり、とてもいい本でした。
この中で2つ心に残ったところを紹介します。
子のたまわく、 質、文に勝てばすなわち野なり。 文、質に勝てばすなわち史なり。 文質彬彬(ぶんしつひんぴん)として しかる後に君子なり。
「質」は、生まれつき持っている資質や素質。 「文」は、知識や教養を身につけたことによる容姿や態度。 「彬彬」は、バランスがとれていること。
つまりこの章句の意味は、
人間の内面が、外見よりも勝っていると、粗野な感じになる。 人間の外見が、内面よりも勝っていると、役人のようになる。 「文」と「質」の「彬彬(バランス)」がとれてこそ君子だ。
そういった意味だ。
それに対し、安岡正篤氏は、
質と文、どちらがより大切かといったら、それは質だ。そうであるけど、リーダーになるような人は、中身さえよければいいのではなく、見たときの品格や威厳といったものが、その人のたたずまいから滲み出てこないといけない。 立っていても、座っていても、いつも存在感があり、その人そのものが伝わってくるような人がすばらしいね。
と。
これは、ぼく自身大いに反省することでもあり。
リーダーになりたいという野心があるわけではないが、質と文のバランスという感覚はあまり意識していなかったことは事実。
ここはこれから10年の課題だろうと感じた。
もうひとつ。
渋沢栄一氏の「道徳経済合一説」について。
道徳なくして経済なし。経済なくして道徳なし。 道徳=経済。
この説のもとになっている話があるということ。 二松学舎大学の創立者、中州先生との会話らしい。
中州先生「義と利は分けて考えるべきではなく、利は義から生まれる結果である(義理合一論)」に論拠を持つということだそう。
利は義から生まれた結果。
これは、何か勇気をもらった。
ふたつとも、切りとられた言葉のみを自分のものとせず、その前後の文脈に大きな意味があるということだろうか。 ど真ん中を生きるというのも、その中心にあることのみが大事ではなく、ひとりひとりの物語に価値がある。
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