top of page
執筆者の写真浦井 啓子

志学

「志学」


もちろん論語の一説として聞いたことがある。

が、正直なところ「志学」の部分について

深く考えたことはなかった。



15歳で自分の生きる道を定め、

将来の見通しをたてていたことに

純粋に驚きがある。



自分の信条として

天に生かされているこの命を意識していくこと

大いなる力に自分をゆだね、日々丁寧に生きること

を大切にしていたが、



今日この講を読んだとき

「私の生きる道は何だろう」

考えても全く分からない自分に気がついた。



今、与えられているものをしっかり受け取るという意識だけでは

(もちろん、それも大切なことだが)

受け身であるとしかいえないのではないか。



天から授かったチカラの一切を出し尽くす生き方を

生涯かけて歩んでいきたいと願うのならば


もっと

考え、感じないといけない

そう思った。



40歳までに見つかるのだろうか。


そこまでには、たどり着きたいと思っている。

閲覧数:6回0件のコメント

最新記事

すべて表示

時間を超える

修身を学ぶ会富山 第3講 人生二度なし 「人生二度なし」という真理を痛感して、いささかでもよいから、その精神が死後にも生きるような人間になって戴きたいと思うのです。でなければ、せっかくこの世へ人間として生まれてきた意義はないと言えましょう。 自分は、この言葉にある「...

純真さ

修身を学ぶ会富山 第2講 立志 真に志を立てるということは、この二度とない人生をいかに生きるかという、障がいの根本方向を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬのです。...

人の望み

修身を学ぶ会富山 第38講 置き土産 自分とは一体何者なのか。 それを問いつづけることが人生なのかもしれない。 自分は誰なのか。 肉体が自分なのか。 思考が自分なのか。 感情が自分なのか。 考えて、言葉にして、話しているのは、「ほんとうの自分」なのか。...

Comentarios


bottom of page