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執筆者の写真yamashina shigeru

残す

毎年恒例、お盆は真国寺で過ごします。

そして、毎朝5時から参加させていただいていたニュー・アースの音読会も、このお盆期間でちょうど終わりを迎えました。


真国寺で参加するニューアースの音読会。

その内容が、あまりにもピッタリすぎて…、ひとりニヤニヤと働いていました。

思い出としてその内容を残す。



新しい意識の担い手たち(p327)


ー自然な拡大の軌跡をたどって成長したあとは、外から見れば目立たない、受身で比較的波乱のない人生を過ごす人もいる。この人たちは本来内向きで、形へと外に向かう動きは最小限に留まる。彼らは出かけていくよりも、帰っていくだろう。

帰還する

周りを見渡しても、本物だと思えるど真ん中を生きる人は、自分があるべき場所に戻っていく。なので、その人たちに会うためには、その人のもとへ足を運ぶことが重要となる。

本物の人と、その人が営む拠点で対話する。

これはオンラインコミュニティがいかに発達しようが変わらわない得難い価値なんだと思う。


世界に強く関わりたいとか、世界を動かしたいとは毛頭思っていない。野心があるとしても、ふつうは自立して暮らせるだけの何かを見つけたいという程度だ。 この世界にうまくなじめないと感じる人たちもいる。ー自分に合ったささやかな場所を見つけ、比較的安楽な人生を送る人もいる。スピリチュアルなコミュニティや僧院での暮らしにひかれる人もいるだろう。世間からドロップアウトして、なじむことのできない社会の底辺で生きる人たちもいるはずだ。

この気持ちはすごくよくわかる。

ど真ん中エディットワークの「志」にぼく自身が記載した言葉。


身体知からの直感を磨く

民藝的佇まいがある働き方

矩を踰えず生きる


志としているのは、ぼくがまだこの域にたどり着いていないから。

帰還のタイミングがまだ訪れていないのかもしれないし、単なるエゴが支配しているのかもしれない。


ー昔ならこういう人たちは瞑想家、黙想家などと呼ばれた。現代文明にはこの人たちの場所がないように思われる。ー彼らの仕事はこの地球に新しい意識の周波数を根づかせる錨となることだ。―彼らの使命は日々の暮らしを通じて「ただ在ること」と他者との関わりを通じて、新しい意識を生み出すことだ。

「錨となる」

なんと素敵な表現だろうか。

人類の歴史を振り返っても、錨となる新しい生き方の存在が、少しずつ少しずつ世の中に大きな変化を生み出していく。歴史に名が残らない数多のリーダーがいたのだろう。


この人たちはそのあり方を通じて、一見ささいなことに深い意味を付与する。彼らが何をするにしても、その仕事はまさにいま、ここに在ることを通じて広い静寂をこの世界にもたらすことだ。彼らの行動はどんなシンプルなものでも意識がこもっており、したがって質が高い。彼らの目的はすべてのことを聖なるやり方で行うのだ。 個々の人間は人類の集団的意識と不可分だから、彼らが世界に与える影響は表面的に見えるよりもはるかに深い。

まず、思い浮かんだのは妻の姿だ。

家のこと、家族への配慮は、まさにこの言葉どおりの行動をしている。

これは今すぐということではなく、時とともに子どもたちに影響していくのは確かだ。

しかし、実は世界に影響を与えているという視点。


長男が描くイラストもそう。


そして、ここで書かれた通りの仲間たちと、今、真国寺で働いている事実。

これがなんとも奇跡的であったのです。





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