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発願

修身を学ぶ会富山

第9講 発願


「道の上では師に譲らず」


第9講の最初のところに、この言葉が紹介されていた。

この言葉にすごく似た有名な論語の章句がある。


仁に当たりては

師にも譲らず


自分の心にある「仁」。

思いやる心、相手を大切にしたい気持ち、大事にしたい気持ち。


自分が一生ついていこうとする尊敬する師がいるとして。

その師からのお願いだったとしても、自分の中にある「仁」に反することであれば、師であろうが自分の気持ちを譲ってはならない。


そういった意味の章句だ。



今回のテーマ「発願」と呼べるものが、自分の言葉として表現できるかといえば、できない。

ただ、「仁に当たりては師にも譲らず」という章句と、自分の発願はすごく近いところにあることは感じる。


この章句と向き合うと、いろんな気づきに出会うことができる。


まず大切なのは、譲らないことは、「正義」ではないということ。

仁、つまり思いやる心だ。


正しさを貫くことではなく、生まれながらにある「仁」を譲らない。

「思いやり(仁)」ということは、すでに、自分ひとりのことを考えていることではないということ。


また、「思いやり(仁)」は、地位、お金、年齢に関係がない。

シンプルに平等だ。



では、「仁」に生きようとしたとき、それはどんな生き方になるのだろうか。


思い浮かぶのは、「目の前の人、目の前の人が発する言葉、目の前で起こる出来事、それは自分だ」と思えるかどうかなのかもしれない。


ここで、「かもしれない」という表現にどうしてもなってしまうのは、ここに自分の弱さがあるのだと思う。





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