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人生の深さ

6月10日
読了時間: 2分

修身を学ぶ会富山

第14講 人生の深さ


人生を深く生きる人は、身近に誰がいるだろうか。

そう考えたとき、真っ先に妻と子どもたちの顔が浮かんだ。


妻も4人の子どもたちも、誰かと比較することはできない。

一人ひとりが見ている世界も、感じていることも、向き合っている方向も違う。

それでも、それぞれが人生を深く生きていると感じる。


「世の中に繊細であること」


これは一見すると、生きづらさの象徴であり、世の中から求められる生き方に合わせることは、とても大変なことだ。

しかし、その繊細さこそが、人生を深く生きる力になるのではないかと思う。


人生を、長さではなく深く生きたいと願うことはあるかもしれない。

しかし一方で、それを前向きな選択としてではなく、「人生を深く生きる道しかない」と感じながら生きている人もいるのではないだろうか。


もし、その生き方をネガティブなものだという思い込みがあるとしたら、僕にできることは何だろう。

人生を深く生きる道しか見えない人の生き方に触れ、その人とつながることで、僕自身も変わり続ける。


もし、その出会いが僕に変化をもたらしてくれたのなら、そこには確かに価値が生まれている。

そして、その価値によって変わっていく僕の姿が、誰かにとって少しの勇気や、ほんのひと息つける時間になればいいなと思う。



ただ、ここまで書いて感想をシェアする中で、「それは別に望まれていることではない」という視点をいただいた。


そうか。

「僕にできることは何か」という立ち位置になろうとしたのは、心のどこかに家族の存在があったからなのだろう。

これが「ど真ん中名刺」をつくる人との対話であれば、そんなふうには考えないはずだ。


ただただフラットであり続けることを意識し、相手の声に耳を傾け続ける。

そして、その先にあるものは何かを、一緒に眺めにいく。

恐れずに言葉にしながら、試行錯誤を重ねていくはずだ。


家族とのかかわり方と、家族以外とのかかわり方。

その違いの中には、まだ言葉になっていない、大切な「何か」があるように感じている。


ただ、人生を深く生きている人の存在が、誰かにとってその人の内側を見る力に変わることは確かだと思う。

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