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諦める人生

修身を学ぶ会富山


第12講

「感想」を読んで


「自分の人生を真実に生きる」と本気で考える人は、一体どれくらいいるのだろうか。

これまでの人生を振り返ると、ぼくは何度も自分の人生をあきらめてきたように思う。


中学時代、落合信彦氏の本に出会い、夢中になって読み漁った。

本の中には、自分の足で世界を歩き、自らの人生を切り拓いていく生き方が描かれていた。ぼくはその生き方に強く共感した。


しかし、自分の進路を海外へ向けることはなかった。

なぜなら、「自分にはできるはずがない。それは夢物語の世界だ」と、最初からあきらめていたからだ。



中学時代は部活動にも打ち込み、高校に進学したら全国大会を目指そうと仲間たちと誓い合った。

しかし、高校進学の際には、部活動の強豪校ではなく進学校を選んだ。

大人の顔色を見て決めた進路だった。


当時は、自分の意思というよりも、大人や社会の空気に責任を押し付けていた。

でも、本当は違う。

確かに大人からのプレッシャーはあった。

しかし、最終的に選んだのは自分だった。


なぜか。

厳しい練習から逃げたかったのだ。

自ら逃げたという事実を、誰にも知られたくなかった。


だからこそ、「大人のせいだ」「社会のせいだ」と自分に言い聞かせてきた。

しかし、本当は違う。

選んだのは自分なのだ。

結局、このとき背負った十字架を、その後10年以上抱え続けることになった。



大学4年生のときには、経営コンサルタントという仕事に憧れた。

しかし、就職活動に本気で向き合うことが恐ろしく、現実から目をそらした。

必要な勉強もせず、アルバイト生活を選んだ。

これもまた、逃げたのだ。



もちろん、これはぼくの一側面に過ぎない。

別の側面から語れば、人生はドラマティックな成功物語として語ることもできるだろう。


こうした心の内側については、つい最近まで誰にも話したことがなかった。

嘘をつき続け、あきらめ続けてきたのだ。



二度とない人生を真実に生きる。

これほど厳しいことはない。


では、今できることは何だろう。


目の前の人の声の中にある真実を受け取るために、自分の心を真っ新にしておくこと。

それくらいしかできないのかもしれない。

けれど、それこそが、自分の人生をあきらめてしまった私にとって、今できる真実の生き方なのかもしれない。



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