自分を騙せない射
- yamashina shigeru
- 3 分前
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修身を学ぶ会富山
第15講 一時一事
日曜日に弓道の道場で、上半期に昇段した方を祝う「祝射会」が行われた。
僕も今回祝われる立場として、皆の前で一手、射を披露することになったのだが、結果は大失敗に終わった。
的に中る気配すらなく、その日一日、全くうまくいかなかった。

なぜそうなってしまったのか。
結局のところ、心が迷っていたのだ。
今回は三人立(三人で一緒に行う射)だったため、三人の呼吸を合わせることに集中すべきか、自分の射を丁寧に行うことに集中すべきか、それとも確実に中てることに集中すべきか、意志が定まっていなかった。
その結果、すべてが中途半端になってしまった。
その後、先生方から様々なアドバイスをいただいた。
多くは技術面に関する指導だったが、果たして自分の「心」はどうだったのか。
それを今も考えている。
メンタルが弱いのか。
闘争心が欠けているのか。
一体、何が欠けているのだろうか。
特に緊張したつもりもなく、普段通りに引いていたつもりだった。
つまり、崩れている自覚すらないまま、無意識のうちにいつもの動作が崩れていたのだ。
意識のないまま崩れてしまうからこそ、強い困惑が残った。
それから今日までの二日間、稽古を重ねる中で、ようやく普段の射形を取り戻すことができた。
そして形が戻るにつれ、何が悪かったのか、自分自身の課題が少しずつ見えてきた。
理由は二つある。
一つ目は、射に入る前の初歩的な動作(足踏みの足幅)と、射が終わった後の納めの動作(弓倒し)を、日々意識的に修練していなかったことだ。
普段の稽古では、射の中身にある様々な注意点には気を配る。
しかし、その前後の動作の大切さを理解していながらも、深く意識せず「なんとかなるだろう」と甘く構えていた。
それが本番で露呈し、無意識のうちに足幅が狂い、体のバランスを崩してしまったのだ。
二つ目は、矢を放つ最後の瞬間、弓を押す手の親指を真っ直ぐ的に向けて押し切らねばならない場面で、力を緩めてしまっていたことだ。
振り返れば、確かにその通りだったと自覚できる。
肝心要の場面でふっと力が抜けてしまうのは、大事な局面で一歩引いてしまう自分自身の無意識の癖に他ならない。
始まりと終わりを丁寧に修めること。
そして、肝心なときに気持ちを貫き切ること。
これは弓道だけの問題ではなく、日頃の僕自身の欠点そのものだ。
できているような素振りは見せられても、実際にはそこに心を込めきれていない自分。
あまり人に知られたくないその弱さを、自分自身が一番よく知っている。
弓道の本番では、日頃の生き方や在り方の課題がそのまま露わになる。
「一時一事」とは、単に仕事への取り組み方のノウハウではなく、いまこの瞬間の「自分の在り方」そのものを問う教えだと思う。

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