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執筆者の写真yamashina shigeru

窮極

第39講 教育の窮極



二か月に一度の修身を学ぶ時間は、毎回いろんな気づきを与えてくれる。

今回の「窮極」という言葉もそうだ。


窮極とは 物事をつきつめ、きわめること。また、その最後の到達点。

実は、日常の中しかり、ビジネスの世界しかり、意識せずに生活していると、「窮極」の目標を語ることはほとんどないのではないか。

それは、理想を語るとバカにされるかもしれないという空気が存在しているからかもしれない。

また、SNSが普及したことにより、無自覚のうちに均一化に向かってしまう弊害なのかもしれない。


どちらにせよ、「窮極」と思えるほどの目標を語る機会や考える時間は、ほとんどないのが事実だろう。

そもそも「窮極を考える」という問いすら思い浮かばないかもしれない。

 

では、今の自分の仕事の窮極の目標は何だろうか。


日本から生まれる新しい資本主義のカタチを創る。
閉塞感がある日本のモノづくりの世界に風穴を開けるようなロールモデルを家内制手工業の世界から創る。

そういったことになる。


ただ、反省すべき点は、この窮極の目標を、日々、目の前のお客様に、目の前の仕事に、その気持ちで向き合っているかどうか。

それは残念ながらできてない。


「窮極」という問いを自分の中に持つように心がけたい。


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