考えるとはどういうことか
梶谷真司 著
読了
哲学対話
共に問い、考え、語り、聞くこと。
ここにどんな存在意義があるのか。
それは自由になれることであり、共に自由になれることである。
そして、責任を取り戻すことでもある。
そんなふうに本書では書かれてある。
自由という言葉には、いろんな意味やパターンが含まれている。
自由とは何か?
これを問うだけでも、大変なことだ。
なぜ対話によって自由になれるのか。
それは「相対化」にある。
問い、考え、語り、聞くという対話を通じて、自分の立場や役割など、「自分」という人間にいっぱい貼り付いた枠から抜けることができる。
そのときに、なんともいえない「自由」を感じることができるのだ。
逆にいうと、日常の中に真っ新な自分で考え、何でも発言できる場がないということ。
学校にもない、職場にもない、家庭にもない、。
では責任とは。
責任が取れるのは、本来自分が考え決めたことだけだ。
つまり、責任とは尊いことなはず。
この自由と責任を取り戻すこと。
これが哲学対話の存在意義だということ。
そのためには、環境を整えて何でも自由に発言できる場を準備する必要がある。
本書では、この場を生み出すための方法が書かれてある。
この「問い、考え、語り、聞く」ということは、必ず他者が必要となる。
他者の存在があることで、語ることができ、語るからこそ考えがまとまる。
そして問いが生まれる。
分からないことを増やしていくこと、これが大切なのだ。
また、聞くとは、相手を理解するということだけではない。
聞くとは、場を共有すること。
問い、考え、語り、聞く、という対話を通して、自分を他者を自由にさせ、相対的に見る視点を養うことになる。
そして、責任も取り戻す!
最後に、本書を通して、すごく素敵な言葉に出逢った。
対話の場、対話の空間の大切さについて。
自分の体で感じられるつながり、その揺れや肌理は、その場にいてはじめて共有できるものである。
この文にある、「肌理(キメ)」という単語。
一般的には、「肌のキメが細かい」という感じで使う言葉だろう。
キメを「肌理」と漢字で表現した瞬間、なんともいえない趣きを感じることができる。
身体知のセンサーとしての肌。
肌の理、肌理。
いやあ、いい言葉だな!
すべての生命体と同じくあなたの身体にも有機体としての身体自身の知性がある。その知性はあなたの心の言うことに反応し、あなたの思考に反応する。感情は心に対する身体の反応なのである。ニュー・アースより
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