コミュニケーションの根本。 これを2500年前に伝えてくれています。
ここまでいくと人間って一体どれだけ同じ過ちを犯し続けるのだろうと思っちゃうのですが。。
科学は常にこれまでの技術を積み重ねながら進歩していく。なおのこと、加速度的に進化する。 では、それを扱う人間の道徳心、人間力はどうか。
ゼロから始まり、積み重ねて、、死を迎え。 そして、また新しい命が誕生し、ゼロから始まる。
もちろん、完全にゼロになるわけではなく、DNAの中に少しづつ残っていく知もあるとは思いますが、科学のように積み上げていけるような簡単なものではない。
つまり、科学の発展スピード、社会の変化スピードが速ければ速いほど、人間力も同時に鍛えていくことが必要なんだけど。
さておき、今回の章句は、子どもたちに大人気です。 月一で参加している親子論語塾では、多くの子どもたちがこの章句を選択肢、素読します。 意味は、
「言葉は相手に達したものがすべてだ。」 そういうことですよね。
「自分は確かに言ったじゃないですか!」っていうのは違うと。 相手に伝わったことがすべてであり、言った言わないの問題じゃない。 これは、本当にあるあるのコミュニケーションの問題ですよね。
今月の月刊誌「致知」の中にアメフトの指導者の話があって、京大アメフト部の有名な水野監督の言葉が少し載ってました。 ぼくもアイスホッケー部のヘッドコーチをしていたので、水野さんのことを知っていてます。京大黄金時代を気づいた名将です。
その水野さんの元で学んだ藤田コーチの言葉が載ってました。
まず選手への指示はなるべく簡潔に明確に伝えるようにしていました。ゴチャゴチャしゃべっているときは、自分の考えがしっかり咀嚼できてないもの。自分の腑に落ちるまで考え抜かないと相手には伝わりません。 水野さんから「気持ちを込めて話せ。言葉面だけで話すな」とよく言われました。 選手は、僕の言葉の裏に耳を傾けている。そこにどれだけ深い考え、気持ち、熱量があるか。
いや、まさにそのとおりなんだろうと思う。
ぼく自身もヘッドコーチとして選手と関わっていたときは、言葉には本当に気を使ったことを思い出します。
つまり、「辞は達するのみ」という章句の奥には、だからこそ、言葉を大切にしなさいという意味が込められているのだと思う。
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