博く学びて篤く志し、 切に問いて近く思う。 仁其の中に在り。
広く学んで、熱心に取り組み、心を込めて問いかけて、それを自分の身近なこととして考えるならば、仁は求めなくても自然にそこに存在し、獲得できるようになる。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
ちょっとズレた話をする。
言葉と響きとリズムの素晴らしさに感動する章句だ。
美しさの力。
そのことも強烈に感じさせてくれる章句でもある。
美しい言葉の流れがあるから、意味も深く響くのか。
それとも、意味が深いがゆえに、自然に美しい言葉の流れになるのか。
どちらが正解なのかすら分からない。
いや。
普通に論理的に考えれば、意味が大事で次に言葉の並びや響きだろう。
でも、時に、その論理的思考を超える美しさに出逢う瞬間がある。
そのときの誘惑。
理性よりも感性を大切にしたい。
なんとか理性と感性を一致させられないか。
その理想を夢見始める。
ど真ん中名刺を作っているときも、ある。
ああ、確かに理性とお客様からの要望は右と言っているが、感性では左だ。
頭で分かっていても、ここは妥協せずに心地いい名刺を生み出したい。
その葛藤だ。
ここを超える。
統一を図る。
そうか!ここにもうひとつ新しい要素を足せば、理性と感性は繋がるのではないか。
そこに気づいたときの喜び。
その統一への道筋がひらめいた時、なんともいえない感動を覚える。
有志以来、人類はこの世の美しさを数学に求め、哲学に求め、見えてる世界と見えない世界の両方に求めてきたのではないか。
その歴史の結果が今にある。
この世界は調和がとれている。
大げさかもしれないが、そんな感覚だ。
Comments