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調和

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 2020年3月13日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年3月14日

博く学びて篤く志し、 切に問いて近く思う。 仁其の中に在り。

広く学んで、熱心に取り組み、心を込めて問いかけて、それを自分の身近なこととして考えるならば、仁は求めなくても自然にそこに存在し、獲得できるようになる。

(「実践・論語塾」安岡定子著)


ちょっとズレた話をする。


言葉と響きとリズムの素晴らしさに感動する章句だ。

美しさの力。

そのことも強烈に感じさせてくれる章句でもある。


美しい言葉の流れがあるから、意味も深く響くのか。

それとも、意味が深いがゆえに、自然に美しい言葉の流れになるのか。

 

どちらが正解なのかすら分からない。

 

いや。

普通に論理的に考えれば、意味が大事で次に言葉の並びや響きだろう。


でも、時に、その論理的思考を超える美しさに出逢う瞬間がある。


そのときの誘惑。


理性よりも感性を大切にしたい。

なんとか理性と感性を一致させられないか。


その理想を夢見始める。


ど真ん中名刺を作っているときも、ある。


ああ、確かに理性とお客様からの要望は右と言っているが、感性では左だ。

頭で分かっていても、ここは妥協せずに心地いい名刺を生み出したい。

その葛藤だ。


ここを超える。

統一を図る。

そうか!ここにもうひとつ新しい要素を足せば、理性と感性は繋がるのではないか。

そこに気づいたときの喜び。

その統一への道筋がひらめいた時、なんともいえない感動を覚える。


有志以来、人類はこの世の美しさを数学に求め、哲学に求め、見えてる世界と見えない世界の両方に求めてきたのではないか。


その歴史の結果が今にある。


この世界は調和がとれている。

大げさかもしれないが、そんな感覚だ。

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