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らしい

執筆者の写真: yamashina shigeruyamashina shigeru

A NEW EARTH

二巡目 第3週 振り返り


エゴが生まれる最も基本的な精神構造の一つがアイデンティティである。

洋治さんのメッセージに。

もともと日本の本質に中空構造があった。

そこから「私の意見」が求められるようになった。

本質を思い出すこと。


気づきなおし。


自分という人間をつくり上げている血、育ち、教え。

自分をつくりあげている過去の物語やエピソードこそ自分なんだと、アイデンティティをそこに見出すことではなく、その物語に付着している「アク」のようなエゴなのか執着は一体何なのか。

そこを思い出していく。



「らしい」

相手にプレゼントを贈るとき、「あなたらしいモノはなんだろう」と考えるはずだ。

「あなたらしさ」の「らしさ」って。


プレゼントを決めるとき、「あなた=別のなにか」と、アイデンティティと同一化しているモノを言い当てようとしている。

あなたらしい。

自分らしい。

自分らしく。

自分らしく生きる。


ここで語られる「らしい」という言葉をどう捉え直していくのか。

「らしさ」戦略がビジネスになる世界の中で、「らしさ」に埋没せずにどう働くのか。

または、どう生きるのか。




人生は意識の進化に最も役立つ経験を与える。

この言葉を、ある意味、すごく意識していた時期があったことを思い出す。

大学時代。


「自分は選ばれた存在で神様に守られている。」

「だから、どんなことが起きても大丈夫。」

「そもそも難しい問題など、起こらない。起こりようがない。」


そう思ってた。

今振り返ると、ヤバい奴のように感じる。

同期からもヤバい奴と言われ続けていた。


説明できない信仰に近い自信。

これは若者の特権のようにも思うが、それもまた違うか。


ただ、実際はそこに「恐れ」があったように思う。


このニューアースの言葉を借りるなら、「人生は意識の進化に最も役立つ経験を与えるならば、経験を与えられる前に一歩先を進もう。」

死神が一定のペースで追いかけてくるイメージ。

その死神の前を常に歩けば、大丈夫なはずだ、という戦略。


「自分は前を歩いているのだから、試練を与えてくれるな。」

なんか、まじでそんな気持ちがあった。


表層的にはすごくポジティブで自分に自信があるように思いながらも、深層では、死神に追いつかれることを恐れている。

後ろを振り向くこと勇気もなく、死神の顔を見ることもできない。

ただ、私は前を歩めているはずだという盲信。


数年前に車で事故を起こした時に、この感情を思い出したことがある。

「くーーー!ついに与えられる時がきたのか。」

と。

与えられるほどの人間に成長したのかという喜びと、ちょっとした悔しさがあった。




エゴは、もっと必要だという欲求なしに長いあいだ過ごすことはできない。 だからエゴを存続させているのは所有よりもむしろ欲望だ。

欲望と夢は、どう違うのだろうか。

表面的に違いを語るのは簡単なように思うのだけど、もっと深く潜ると、同じようにも感じるし。

実際はどうなのだろうか。

実は夢と欲望はひとつなのだろうか。

それとも全く違うことなのだろうか。


ひとりだと答えは出せない。

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